豊海橋
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北側(日本橋箱崎町)より撮影

豊海橋(とよみばし)は、日本橋川にかかるで、北岸の東京都中央区日本橋箱崎町と南岸の中央区新川1丁目を結ぶ。日本橋川が隅田川に流入する河口部に位置し、1927年昭和2年)に震災復興橋として架設された。中央区豊海町は本橋とは3 km以上離れており、直接の関係はない。
概要

日本橋川の第一橋梁である。梯子を横にしたような構造は、フィーレンディール橋と呼ばれ、永代橋との景観上のバランスを考慮して設計された。シンプルなデザインのなかに鋲止形式という古い形態を残し、重量感のある鉄骨橋梁の代表例として貴重である。現在は全体を白色に塗装してある。中央区民有形文化財。

夕刻からは白っぽいオレンジ色にライトアップされ、隠れた夜景スポットである。たびたびドラマの撮影に使われる。

構造形式:下路式フィーレンディール橋

橋長:46.13 m

幅員:8.00 m

着工:1926年大正15年)5月

竣工:1927年(昭和2年)9月

施工主体:復興局

設計:福田武雄

施工:横河橋梁製作所

橋の歴史

この場所に最初に橋が架けられたのは江戸時代の中期、1698年元禄11年)とされる。北詰には船手番所が置かれ、諸国廻船が往来する江戸水運の要所に位置していた。河岸には土蔵が建ち並び、陸揚げされた荷駄が行き交う活気に満ちた界隈であった。また、吉良邸への討ち入りを果たした赤穂浪士永代橋大川を渡ったのち、この橋を経て泉岳寺をめざしたと伝えられる。乙女橋とも呼ばれていた。

その後、幾度かの落橋・焼失、再架を経て、1903年明治36年)1月に長22間・幅4間の下路式プラットトラス橋が架けられ、初めて鉄橋化。1923年(大正12年)の関東大震災で落橋し、震災復興橋梁としての現在の姿に至る。

2022年令和4年)9月に土木学会選奨土木遺産に認定された[1]
年表

開通年形 式橋 長幅 員備 考
1698年
木橋不明不明創架

1873年木橋40 m5.5 m
1885年木橋40 m5.4 m
1903年鉄下路プラットトラス橋40 m7.3 m
1927年鋼下路フィーレンディール橋46 m8 m現役

出典:土木図書館 橋梁史年表 ⇒[1]
ギャラリー

日本橋川から見た豊海橋(2011年7月23日撮影)









周辺施設

永代橋

新川公園

隅田川大橋

日本IBM本社

交通
アクセス


東京地下鉄水天宮前駅(○半蔵門線)より約徒歩10分

東京地下鉄茅場町駅(○日比谷線東西線)より約徒歩10分

隣の橋

日本橋川
(上流) ― 湊橋 ― 豊海橋 ― 隅田川に流水 ― (下流)
脚注^ “土木学会 令和4年度度選奨土木遺産 豊海橋”. www.jsce.or.jp. 2022年9月19日閲覧。

関連項目

永代橋 - 隅田川本流を含む下流隣の橋

外部リンク

中央区民文化財 豊海橋
東京都中央区公式サイト










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