豊原北信号場 (廃止)
豊原北信号場付近の自転車道起点、左が元台中線、右が元東勢線
豐原北號誌站
フォンユェンきたしんごうじょう
- Fengyuan North Signal Station -
所在地台中市豊原区北緯24度16分22秒 東経120度44分29.5秒? / ?北緯24.27278度 東経120.741528度? / 24.27278; 120.741528
豊原北信号場
各種表記
繁体字:豐原北號誌站
簡体字:?原北号志站
?音:F?ngyuanb?i Zhan
通用?音:F?ngyuanb?i Jhan
発音:フォンユェンペイ ヂャン
台湾語?音:Hong-goan Chhia-thau
日本語漢音読み:ほうげんきたしんごうじょう
日本語慣用読み:とよはらきたしんごうじょう
英文:Fengyuan North Signal Station
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豊原北信号場(ほうげんきたしんごうじょう)は、かつて台湾台中市豊原区にあった台湾鉄路管理局台中線(旧山線)及び東勢線の廃止された信号場である。三義駅以南の旧山線区間で最南端である。[1]
目次
1 信号場構造
2 利用状況
3 信号場周辺
4 歴史
5 隣の駅
6 注釈
7 出典
8 参考文献
9 外部リンク
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信号場構造
台中線と東勢線の分岐点であった。豊原までは複線[2]、后里及び朴口方向は単線であった。本信号場 - 豊原間は列車集中制御装置(CTC)で制御されていたが、東勢線はCTC制御ではなかったので、台中線から分岐後すぐにCTC区間は終端となっていた。[3]
利用状況
既に廃止されている。后里 - 豊原間の新線は本信号場の東南方向数百mで旧線と合流する。
東勢線廃止後は単線から複線への移行信号場として使用された。[4]
東勢線の廃線跡は自転車道(東豊自行車緑廊)となった。
台中線の旧線廃線跡も自転車道(后豊鉄馬道)となった。
信号場周辺
東豊自行車緑廊起点
后豊鉄馬道起点
旧大甲渓鉄橋
歴史
1959年1月12日 - 東勢線が開業した。[注 2]
1966年7月20日 - 本信号場が開設された。[5]
1991年9月1日 - 東勢線が廃止された。
1997年8月21日 - 豊原 - 后里間の複線新線への移行に伴い廃止となった。[5]
隣の駅
台湾鉄路管理局
台中線(旧線)后里駅 - 豊原北信号場 - 豊原駅東勢線(廃線)豊原駅 - 豊原北信号場 - 朴口駅
注釈
^ 旧山線経由、三義駅の159.6kmに旧山線23.6km( ⇒舊山線より)を足して算出した。
^ 1959年から1966年の信号場開設時までは台中線と東勢線の線路は独立していたと思われる。
出典
^ ⇒Railway Heart 舊山線風情(台中機務段)
^ ⇒戀戀舊山線──消逝的舊山線風光 (PDF)
^ ⇒豐原北號誌站
^ ⇒豐原北號誌站(線上導遊框)
^ a b ⇒轄内車站 豐原站
参考文献
⇒豐原北號誌站(看橋工房) (繁体字中国語)
外部リンク
⇒木匠租車休陷A場(東豐腰L?后豐鐵馬道起點)-東豐及后豐簡介 (繁体字中国語)
⇒台中市観光旅遊導覽網 - 東豊自行車緑廊 (繁体字中国語)
⇒台中市観光旅遊導覽網 - 后豊鉄馬道 (繁体字中国語)
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