この項目では、下伊那郡にある村について説明しています。上高井郡にあった村については「豊丘村 (長野県上高井郡)」を、愛知県にあった村については「豊丘村 (愛知県)」をご覧ください。
「豊岡村」とは異なります。
とよおかむら
豊丘村旗豊丘村章
1950年11月22日制定
国 日本
地方中部地方(甲信越地方)
都道府県長野県
郡下伊那郡
市町村コード20416-1
法人番号6000020204161
面積76.79km2
総人口6,241人 [編集]
(推計人口、2024年4月1日)
人口密度81.3人/km2
隣接自治体飯田市、下伊那郡松川町、高森町、大鹿村、喬木村
村の木アカマツ
村の花コブシ
豊丘村役場
村長[編集]下平喜隆
所在地〒399-3202
長野県下伊那郡豊丘村大字神稲3120番地
.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度33分05秒 東経137度53分45秒 / 北緯35.5515度 東経137.89589度 / 35.5515; 137.89589座標: 北緯35度33分05秒 東経137度53分45秒 / 北緯35.5515度 東経137.89589度 / 35.5515; 137.89589
外部リンク公式ウェブサイト
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特記事項役場の標高:426m
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上空からの豊丘村中心部豊丘村交流センターだいち福島てっぺん公園からの眺望
豊丘村(とよおかむら)は、長野県最南部の下伊那郡北部に位置する村。 長野県内としては比較的温暖な気候で、冬場の降雪も少ない。こうした気候をいかした果樹および野菜の栽培、水稲などが盛んな農業中心の村。農業は従来、稲作、養蚕が中心だったが、昭和40年代からりんご・梨・桃・市田柿といった果樹に転換された。現在では、これらの果樹や松茸などが特産となっている。特に松茸は全国有数の産地である。1万年以前の旧石器時代から人が住みつき、土地の利を生かした独自の暮らしを拓いてきたとされ、村内各地からは、縄文時代の土器や土偶、古墳時代の須恵器などが多数出土している。村が運営するケーブルテレビ局としてとよおか放送ネットワークがある。 長野県の南部、飯田盆地を南流する天竜川の東岸に位置している。伊那山脈最高峰の鬼面山を頂点に、天竜川まで西向きに河岸段丘を形成している。赤松林を有する森林面積は約75%に及び、段丘中・上段は主に果樹園と野菜畑、最下段には豊かな水田地帯が広がる。河川は、伊那山脈より源を発して7河川が段丘を横断し渓谷をつくり天竜川に注いでいる。
概要
地理
主な山:鬼面山、大西山、障子山
主な河川:間沢川、寺沢川、芦部川、虻川、壬生沢川
隣接する自治体
飯田市、松川町、高森町、喬木村、大鹿村
地区
河野区、堀越区、田村区、林区、伴野区、福島区、壬生沢区
歴史
沿革
1875年(明治8年)1月23日 - 筑摩県伊那郡林村・田村村・供野村が合併して神稲村となる。また、筑摩県伊那郡河野村・部奈村・峠分・福与村・長峰柄山分・中山分が合併して生田村となる。
1876年(明治9年)8月21日 - 神稲村及び生田村が長野県の所属となる。
1879年(明治12年)1月4日 - 郡区町村編制法の施行により神稲村及び生田村が下伊那郡の所属となる。
1881年(明治14年)11月9日 - 生田村の一部が分立し、残部が河野村となる。
1889年(明治22年)4月1日 - 町村制の施行により、神稲村及び河野村が単独で自治体を形成する。
1955年(昭和30年)4月1日 - 1953年の町村合併促進法の施行により神稲村・河野村が合併して豊丘村が発足、現在に至る。
出来事
1961年(昭和36年)6月27日 - 「三六災害」が発生。死者2名、家屋被害492戸(豊丘村内)。
1980年(昭和55年) - 満州移住、三六災害により過疎化の進んだ野田平地区の集団移住が完了。
1984年(昭和59年)5月12日 - 鬼面山にて大規模な山火事が発生。5月14日にかけて2昼夜燃え続けた。焼失面積40ha、被害総額3,000万余円(当時)。
2003年(平成15年)12月19日 - 長野県公共事業評価監視委員会は、再評価対象事業53ヶ所について意見書をまとめ県に提出、当時の田中康夫県知事の「脱ダム宣言」を受けて県が中止方針を示していた村内の郷士沢ダムを含める8ダムの事業中止を指示した。翌年3月30日に国土交通省は2004年度ダム関係事業費の配分を見送ることとなり、事実上郷士沢ダム建設計画は頓挫した。
2008年(平成20年)8月29日 - 豊丘村を中心に局地的に降った雹(ひょう)により、りんご、市田柿をはじめとする果樹、野菜など農作物が被害額5億円を超える損害を受けた。のちに募金や復興イベントなどが行われた。
2008年(平成20年)より「早寝、早起き、朝ご飯」をスローガンに掲げ、小中学校を中心に村全体で取り組みを行っている。
2010年(平成22年)7月1日 - 村政施行55周年を記念し、キャラクター「だんQくん」とロゴマークを制定。
2014年(平成26年)2月 - 横浜ゴム株式会社長野工場が河野区に竣工。