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やノートページでの議論にご協力ください。豆戦車(まめせんしゃ)は、軽戦車よりさらに小型・軽量・軽装備な戦車。タンケッテ (tankette) や豆タンクとも呼ばれる。 イギリスのカーデン・ロイド豆戦車 (Mk.I-Mk.VI) を豆戦車の嚆矢とするのが定説である。無限軌道方式の装甲戦闘車輌のうち、重量的に3トン程度を平均として、6トン未満のものを指すことが多く、6トンを超えると軽戦車に分類されるのが、一般的である(同時期のヴィッカース 6トン戦車が境の指標となっているものと考えられる)。 豆戦車と軽戦車の境は、かなり曖昧である。4トン未満なら豆戦車、6トン以上なら軽戦車と、ほぼ考えてよいが、その間に、グレーゾーンがあり、4トン以上?6トン未満程度だと、豆戦車か軽戦車か、どちらに分類するかは微妙なところである。実際、この重量帯の車両は、豆戦車と軽戦車の中間的な性格、「豆戦車以上軽戦車未満」「豆戦車+α」な特徴を持っていることが多い。豆戦車から軽戦車への移行形態ともいえる。例えば、車体の大きさや重量は軽戦車寄りだが、乗員が2名で、武装は機関銃のみで、装甲も小銃弾にしか耐えられない厚さしかないなど、主な特徴が豆戦車と同じなど。車体の大きさや重量の他の「+α」としては、「無線機(受信機)を搭載している」「旋回砲塔(手動)を装備している」、など。実質で考えると、「やや大きく重めな豆戦車」であるとも、「武装が貧弱でやや小さく軽めな軽戦車」であるとも、両方言えるわけである。 「豆戦車とは軽戦車よりも下位の存在(カテゴリー)である」という定義(根本命題)がある以上、「豆戦車とは何か」という問いは、「軽戦車とは何か」という問いと、一体のものである。よって、軽戦車の定義や範囲が定まれば(変われば)、自ずと、豆戦車の定義や範囲も、豆戦車と軽戦車の境も、定まる(変わる)のである。 カーデン・ロイド系豆戦車に代表される、3トン級の豆戦車でなければ、つまり4トン以上なら、全て軽戦車に分類してしまうという、単純明快だが、実質を無視した形式的な、解釈・分類方法もある。 他に、開発国や採用国の自称による、解釈・分類方法もある。この場合、自称と実質が乖離していることがある。実際、豆戦車カテゴリーの車両で、自称を豆戦車と称している例は、ほぼない。 また、どんなものにも例外があるもので、極めて特殊な例として、「マチルダI歩兵戦車」(最大装甲厚65 mm、重量11.2 t)や「I号戦車F型」(最大装甲厚80 mm、重量21 t)といった、車体の構成は豆戦車なのに、装甲厚が重戦車並みで、重量が中戦車並みの、「重装甲豆戦車」とでも呼ぶべきものも存在する。 豆戦車の多くは、2名ないし1名で運用し、基本的には砲塔を持たず、武装も機関銃を1ないし2挺備えただけの軽武装であり、装甲も薄く、口径7.62-7.92mmの小銃弾をかろうじて防げる程度の厚さ(数mm-十数mm)しかない。そのため、小銃用の徹甲弾、対戦車ライフル、小銃よりも強力な弾薬を用いる機関銃・機関砲による攻撃を受けると、容易に貫通・撃破される危険性がある。実態は移動機関銃トーチカにすぎず、基本的に対人・対機関銃砲陣地・対非装甲(ソフトスキン)車輌用である。なお、一部には20mm機関砲や対戦車ライフル、対戦車砲・歩兵砲・火炎放射器・ロケットランチャー・迫撃砲を搭載したものもある。また、エンジンや駆動系に、民間の自動車の部品を流用したものもある。 戦間期の軍縮時代である1920年代末から1930年代末頃にかけて数多く生産された。これらの戦車は、より大型の戦車に比べて取得・製造・維持コストが安価であったため、十分な軍備を持つだけの予算のない国家が、より後進国相手の戦争用に、また植民地の治安維持用に積極的に導入し、配備された。さらには、製造が比較的容易であったため、戦車の国産化・独自開発を目指す国家にとっては、戦車の製造・開発技術の習得の手始めとしてうってつけであった。また、軽量ゆえに低出力エンジンでも高速で、燃費が良いという利点もあった。特に、道路・橋梁・鉄道・港湾・船舶用デリック・クレーンなどのインフラストラクチャーが整っていない地域では、移動・輸送が容易で小型軽量軽便な車輌が重宝された。 対戦車戦闘能力を持つ軍隊に相対するには生存性
概要
直接戦闘以外では、偵察や連絡任務、火砲や物資用カーゴトレーラーの牽引にも用いられた。