谷津干潟
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谷津干潟
谷津干潟の夕焼け(2019年10月20日撮影)
所在地 日本 千葉県習志野市谷津3丁目・秋津5丁目の一部
位置.mw-parser-output .locmap .od{position:absolute}.mw-parser-output .locmap .id{position:absolute;line-height:0}.mw-parser-output .locmap .l0{font-size:0;position:absolute}.mw-parser-output .locmap .pv{line-height:110%;position:absolute;text-align:center}.mw-parser-output .locmap .pl{line-height:110%;position:absolute;top:-0.75em;text-align:right}.mw-parser-output .locmap .pr{line-height:110%;position:absolute;top:-0.75em;text-align:left}.mw-parser-output .locmap .pv>div{display:inline;padding:1px}.mw-parser-output .locmap .pl>div{display:inline;padding:1px;float:right}.mw-parser-output .locmap .pr>div{display:inline;padding:1px;float:left}.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度40分42.4秒 東経140度00分15.5秒 / 北緯35.678444度 東経140.004306度 / 35.678444; 140.004306座標: 北緯35度40分42.4秒 東経140度00分15.5秒 / 北緯35.678444度 東経140.004306度 / 35.678444; 140.004306
面積0.4 km2
湖沼型干潟
プロジェクト 地形
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谷津干潟(やつひがた)は、千葉県習志野市にある干潟。国指定谷津鳥獣保護区ラムサール条約登録地、日本の重要湿地500指定地に含まれる。
概要周囲は埋立と都市化が進み、干潟上には高架橋が架かる。国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成。1989年撮影の2枚を合成作成。1984年の谷津干潟を空撮したもの。画像中央上部の谷津遊園は閉園して更地になっている。東関東自動車道京葉線の建設により、帯状の埋め立ての幅が広がる。それと別に、千葉県道15号千葉船橋海浜線の建設による帯状の埋め立てがあり、干潟は3つに分断される。さらに、後に習志野市立谷津南小学校などになる場所(京成電鉄所有部分)が埋め立てられる。この時点の水面の形状が、現在まで続いている。国土地理院の 地図・空中写真閲覧サービス を基に作成。1979年の谷津干潟を空撮したもの。干潟の西側が帯状に埋め立てられ、国道357号が開通し、干潟は2つに分断される。菊田川まで続いてた水路は無くなり、千葉県立津田沼高等学校と海浜秋津団地が現れる。国土地理院の 地図・空中写真閲覧サービス を基に作成。1975年の谷津干潟を空撮したもの。干潟の四方が埋立地となり、東京湾とは水路を介して繋がる形状となる。この時点では、帯状の埋め立てはされておらず、画像右下へ菊田川まで続く水路もある。谷津船溜に船の姿は見えない。国土地理院の 地図・空中写真閲覧サービス を基に作成。1970年の谷津干潟を空撮したもの。画像中央上部から右下へ京葉道路が開通。京葉道路の北側に谷津船溜が設けられ、画像下の沖に向けて水路が続いている。画像左の団地は、船橋競馬場の海側に建設された若松団地国土地理院の 地図・空中写真閲覧サービス を基に作成。1961年の谷津干潟を空撮したもの。画像右側に埋め立てしていない自然の海岸線が残る。画像中央上部の埋立地に谷津遊園。その左上に宅地。さらに左が船橋競馬場の敷地が続く。宅地付近の海の周囲より黒く映る一帯が水深の深い「ふかんど」。国土地理院の 地図・空中写真閲覧サービス を基に作成。

東京湾岸の干潟は、埋め立てが行われつつも埋立地の前面には残っていたが、1960年代から1970年代にかけて沖合に及ぶ大規模な埋め立てが進められたことで、海岸線から次々に消滅していった。千葉県習志野市でも、そのほとんどが埋立地として整備され、工業地住宅地として開発し都市化が進んだが、習志野市谷津地先の干潟は利根川放水路計画により旧大蔵省の所有であったために埋め立てを免れ、埋立地の中に2本の水路(高瀬川・谷津川)で海とつながる人工のラグーン(潟湖)の様に残された。

当時の千葉県や習志野市は谷津干潟の部分についても埋め立てを望んだが、東京湾に飛来するシギ類、チドリ類、カモ類といった渡り鳥の希少な生息地になっていることが指摘され、また保護活動家による重要性の宣伝活動や清掃活動によってその重要性が広く市民の間でも認知されたことで、1977年には環境庁(当時)が鳥獣保護区に指定して保全を図りたいとの考えを国会で示した[1]

その後、1980年代の前半になると千葉県と習志野市も谷津干潟の保護に転じて[2]1988年(昭和63年)に国指定谷津鳥獣保護区(集団渡来地)に指定され(面積41ヘクタール、うち特別保護地区40ヘクタール)、さらに1993年(平成5年)6月10日ラムサール条約登録地に登録された[3][4]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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