谷沢永一
[Wikipedia|▼Menu]

谷沢 永一人物情報
生誕 (1929-06-27)
1929年6月27日
日本大阪府大阪市
死没 (2011-03-08) 2011年3月8日(81歳没)
日本兵庫県伊丹市
心不全
国籍 日本
出身校関西大学
学問
時代昭和平成
研究分野日本近代文学
書誌学
研究機関関西大学
学位文学博士
主な受賞歴サントリー学芸賞
大阪文化賞
第55回読売文学賞研究・翻訳賞
毎日書評賞
テンプレートを表示

谷沢 永一(谷澤 永一、たにざわ えいいち、1929年6月27日[1] - 2011年3月8日[2])は、日本国文学者文芸評論家書誌学者。専門は書誌学[3]、日本近代文学[3]関西大学名誉教授
来歴

大阪府大阪市出身[1]大阪市立大江小学校[1]、旧制大阪府立天王寺中学校(現在の大阪府立天王寺高等学校)を経て[1]、1947年関西大学予科に入学[1]。1952年関西大学文学部国文学科卒業[1]。1955年関西大学文学部助手[1]、1957年関西大学大学院文学研究科博士課程単位取得[1]。1959年同大学文学部専任講師[1]、1962年同助教授[1]、1968年同教授[1]。1972年「日本近代文学評論史研究」で関西大学より文学博士の学位を取得[1]

1980年、書評コラムを集めた『完本 紙つぶて』でサントリー学芸賞を受賞[1]。1989年、明治・大正期の文芸評論史研究の功績により、大阪市民表彰を受ける[1]

1991年、関西大学を依願退職して名誉教授となる[1]。1997年、大阪文化賞2004年森?外坪内逍遥の論争を論じた『文豪たちの大喧嘩 鴎外・逍遥・樗牛』で、第55回読売文学賞研究・翻訳賞を受賞。2006年『紙つぶて 自作自注最終版』で毎日書評賞を受賞。

2011年3月8日、心不全のため兵庫県伊丹市の病院で死去。81歳没[2]
人物
交友関係

交流の深い人物として、
渡部昇一開高健藤本進治がいる。また個人的な交際はないが、紅野敏郎とはともに近代文学の研究者として、本を媒介に「同志」関係であった。兄貴分として朽木清(大阪市立大学教授)と藤本昭(神戸大学教授)の名を挙げている。

教授在職中は『おもしろサンデー』(読売テレビ)にコメンテーターとして出演[1]。共演した司会の桂文珍と書籍の情報を交換するうちに才能に惚れ込み、文珍を関大文学部の非常勤講師に迎えた[注釈 1]

最初の著作『大正期の文藝評論』は、小田切秀雄の勧めによって書かれた。1976年に東京大学三好行雄と論争した際は、小田切編纂の『明治文学全集 北村透谷集』がきっかけであったから、小田切と手を切ったのはそれ以後のことである。


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:82 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef