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谷村 ひとし
生誕 (1953-09-13) 1953年9月13日(70歳)
福岡県北九州市
国籍 日本
職業漫画家
活動期間1972年 -
ジャンルパチンコ漫画
代表作『パチンコドンキホーテ』
『ドン・キホーテが行く』
受賞週刊少年マガジン新人漫画賞選外佳作(1978年)
手塚賞佳作(1979年)
公式サイト ⇒谷村ひとしの公式サイト
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谷村 ひとし(たにむら ひとし、男性、1953年9月13日 - )は、漫画家。出身地は福岡県北九州市。特にパチンコの「オカルト打法」を中心とした題材で作品を発表している。極初期には筒美廣平の名義でも漫画を発表していた。 パチンコ店やパチンコ台の背景の上に、自身の小さい似顔絵を貼り付けて吹き出しを描くという、貼り絵作品が中心である。最近は、メーカーから提供された資料画像や携帯で撮影したと思われる写真で大半のコマを埋めるという、他に例を見ない手法で作品を仕上げている。本人の弁によれば、どんなに手描きしてもリアリティがないからとのことである(パチンコランド2009年11月号)。 連載各掲載誌の表紙は谷村ひとしの描くキャラクター(ドンキ・ホーテ)が様々なパチンコ機種のキャラクターに成り切ったイラストが採用される事が多い。 ホールの低貸し玉営業には否定的な立場をとっている。特に東日本大震災以降は顕著となり、低貸し玉営業店では打たないように強く提言している。 上記の発言をしていたが、2017年12月に「60歳からの1ぱち講座」という書籍を出版した。 東日本大震災後、『誰にも負けないパチンコ学』(2011年4月ワニブックス刊)および『パチンコ逆風時代の勝ち方』(2011年10月ワニブックス刊)の発売の折に、被災者に向けて印税およびパチンコの勝ち額をすべて義援金として寄付した旨を、各誌連載作品の中で自著のPRと共に発表した。当時は振り込み票の画像の提示はされず金額も不明であったが、2012年5月に「東日本大震災の義援金として一千万円寄付しています」と紺綬褒章の受勲対象となる旨を発表したが表彰されたという事実は現在まで何も提示していない[1]。その後、2013年5月のインタビューでは、「今までに、(パチンコで)大勝ちして買った高額なものは何ですか?」という問いに、「東日本大震災の義援金1000万円です」と答えている[2]。
経歴
1972年から影丸穣也のアシスタントを務める。
1978年(下期)第21回少年マガジン新人漫画賞に選外佳作「神の鳥」(応募者名は「谷村仁志」)、1979年(上期)第17回手塚賞では佳作「漂流伝説」。
1980年に『週刊少年ジャンプ』(集英社)にデビュー作となる『ショウアップ・ハイスクール』を連載するもわずか10週で打ち切りとなる。1985年に同作品を原案とした単発ドラマ・月曜ドラマランド『少年隊ショーアップ★ハイスクール』(1985年3月4日、フジテレビ)が放送された(キャスト / 田倉裕:錦織一清、沢部良:東山紀之、小林宏:植草克秀、樋口しのぶ:MIE)。
その後いくつかの少年誌に連載したあと、活動の場を青年誌に移す。
1995年に『モーニング』(講談社)に『パチンコドンキホーテ』の連載を開始。当初は住居近隣のパチンコホールSAP日野での実戦を漫画化していたが、ボーダー打法から独自のオカルト論を展開するようになり、オスイチ打法などそれまでのパチンコ漫画の常識を覆す作品を発表している。パチンコ漫画がヒットするまでの十数年は、本人曰く「売れない漫画家」であった。
作風
『「1ぱち」のニーズ自体がどんどんなくなってきています。正直な話、現在、低貸し玉営業に手を出していないホールこそが、もっとも健全な経営が成立しているとボクは感じています』(「パチンコ逆風時代の勝ち方」ワニブックス【PLUS】新書2011年10月)
『ボクは「1ぱち」をいっさい打ちません。』(「ツキを味方にするパチンコ学」ワニブックス2012年10月)
『ボクは一切1円ぱちんこを打ちません。だって今より4倍出玉のある1円ぱちんこ専用の機械が出るまでやる意味がありません』(「ドンキホーテ谷村流お座り一発DX!!」日本文芸社2013年1月)
『パチンコを打つなら1円ぱちんこのないホールで客の多いホールだよ』(漫画パチプロ7 2013年5月号)
エピソード