.mw-parser-output ruby>rt,.mw-parser-output ruby>rtc{font-feature-settings:"ruby"1}.mw-parser-output ruby.large{font-size:250%}.mw-parser-output ruby.large>rt,.mw-parser-output ruby.large>rtc{font-size:.3em}谷崎 精二(たにざき せいじ)
誕生1890年12月19日
東京市日本橋区蛎殻町
死没 (1971-12-14) 1971年12月14日(80歳没)
職業小説家、大学教授
言語 日本
教育文学博士
最終学歴早稲田大学英文科卒業
文学活動奇蹟派(新早稲田派)
親族谷崎潤一郎(実兄)
ウィキポータル 文学
テンプレートを表示
谷崎 精二(たにざき せいじ、1890年12月19日 - 1971年12月14日)は、日本の英文学者、小説家。早稲田大学教授[1][2]。小説家谷崎潤一郎の弟。目次 東京市日本橋区蛎殻町(現・東京都中央区日本橋人形町)出身[3]。谷崎倉五郎の二男[1][3][4]。生家は母方の祖父が事業に成功したため、当初は裕福だったが、父が事業に失敗し、次第に零落、兄潤一郎は家庭教師をして糊口を凌いだが、精二は阪本尋常小学校高等科を経て工手学校(現在の工学院大学)に通った。卒業後は通信技手をしていたが、しかし兄の影響もあって文学を志し、国民英学会、正則予備校に通い、1909年、早稲田大学高等予科英文科入学、同期に広津和郎があり、坪内逍遥、相馬御風、島村抱月らの指導を受けた。 1912年(大正元年)、広津、相馬泰三、葛西善蔵らが同人誌『奇蹟』を創刊し、少し遅れて参加、創作を発表。 1913年、早稲田大学英文科を卒業[3][4]。萬朝報編輯局勤務[3]。創作に従事[4]。「早稲田文学」を中心に、私小説風の作風や恋愛を題材とする小説を発表し続ける。また英文学者として、英文学のみならずロシア文学も英訳から重訳していた。片上天絃に推薦され早大講師となる[3]。1921年、助教授、のち教授となる[3][4]。早稲田文学主幹を兼ねる[1]。昭和初年、創作家としてあまり評価されないことから、創作を半ば断念する。 1941年(昭和16年)『ポオ小説全集』全6巻を刊行。早稲田大学文学部には片上派と吉江喬松派の対立があり、谷崎は吉江派の西條八十、会津八一らを追い落とし、1946年、文学部長になったとされる(筒井清忠『西條八十』)。51年、文学博士号を授与される。 この節は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。
1 来歴・人物
2 エピソード
3 家族・親族
4 著作
5 翻訳
6 脚注
7 参考文献
来歴・人物
エピソード
出典検索?: "谷崎精二"