この記事には複数の問題があります。改善
やノートページでの議論にご協力ください。谷島 正之(たにしま まさゆき、1967年4月24日 - )は、日本の映画プロデューサー。アスミック・エース所属、映像事業本部・映像事業部・副部長。 在学中は、マスメディア研究愛好会に所属し、8mmフィルム映画や同人誌製作を行う。[1]89年から、日本全国の大学の約150の映画研究会が加盟している学生映像連盟シネック(1978年発足)の活動に参加。第12代(1990年)の代表を務める。その活動の中で知り合った映画プロデューサー・原正人に師事し、彼が社長を務めるヘラルド・エース株式会社で、90年9月よりアルバイト勤務を行い、91年に入社。入社当時は、単館アートシアターの草分け的存在として、同年『ニューシネマ・パラダイス』(88)が大ロングランを記録し、一時代を築いていた。その一方で、最も感銘を受けたのは、同社のもう一つの柱である日本映画製作においてだった。特に実相寺昭雄監督の『歌麿・夢と知りせば』(77)や黒澤明監督の『乱』(85)等に見られる独特の着眼点や、それを創り出す機能やクリエイティビティに感化され、入社した。 その後、エース・ピクチャーズ、アスミック・エース・エンタテインメントと、会社形態が変わり、現アスミック・エース(J:COM傘下)に所属中[2]。 1991年にアスミック・エースに入社し、宣伝部に配属された。初年度はインドネシア映画『チュッ・ニャ・ディン』を皮切りに、ニール・ジョーダン監督作『スターダスト』、アンジェイ・ワイダ監督作『コルチャック先生』、ジュネ&キャロ監督作『デリカテッセン』、ピーター・グリーナウェイ監督作『プロスペローの本』など、ヨーロッパ映画中心のラインナップと共に、恩地日出夫監督作『四万十川』、熊井啓監督作『ひかりごけ』など、洋邦問わず、宣伝業務に従事。 1992年、『地獄の黙示録』のドキュメンタリー映画『ハート・オブ・ダークネス/コッポラの黙示録』で、初めて宣伝プロデューサーとして全体プランニングを手掛ける。1993年、アメリカ・ユタ州でロバート・レッドフォードが主催する「サンダンス映画祭」に参加、洋画買付けを経験。
プロフィール
宣伝業務
主な宣伝作品
1992年
・インドシナ
1993年
・めぐり逢う朝 ・オーソン・ウェルズのオセロ
・レザボア・ドッグス
・ウェディング・バンケット
・可愛いだけじゃダメかしら
1994年
・林檎の木 ・イヴォンヌの香り
1995年
・恋人たちの食卓 ・Undo
1996年
・明日を夢見て ・ロスト・チルドレン
・スワロウテイル ・花の影
1997年
・バスキア ・P・グリーナウェイの枕草子
1998年
・不夜城
1999年
・アイ ウォント ユー
2000年
・雨あがる
2001年
・蝶の舌 ・テルミン
2002年
・バーバー ・ドニー・ダーコ
主な宣伝プロデューサー作品
Size:41 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
担当:undef