谷岡竜平
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谷岡 竜平現役時代
(2017年3月18日)
基本情報
国籍 日本
出身地埼玉県和光市
生年月日 (1996-03-21) 1996年3月21日(27歳)
身長
体重181 cm
89 kg
選手情報
投球・打席右投右打
ポジション投手
プロ入り2016年 ドラフト3位
初出場2017年4月1日
最終出場2018年10月1日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)


成立学園高等学校

東芝

読売ジャイアンツ (2017 - 2023)

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谷岡 竜平(たにおか たっぺい、1996年3月21日 - )は、埼玉県和光市出身[1]の元プロ野球選手投手、右投右打)。
経歴
プロ入り前

父の影響で8歳から白小クラブ(和光市)で野球を始める[2]。中学時代は和光リトルシニアに所属していた。

成立学園高等学校に進学した[3]。同校の2年生となった2012年の第94回全国高等学校野球選手権大会に出場した。

高校卒業後は東芝に入社。2年目の都市対抗野球大会で白星を挙げ、3年目の西関東予選でも主戦でチームの8年連続出場に貢献。東芝には3年間在籍した。背番号は29だった。

2016年10月20日に行われたドラフト会議では、読売ジャイアンツから3位指名を受け、契約金6000万円、年俸1000万円で入団に合意した[4][5]。背番号は40[4]。担当スカウトは青木高広[6]
巨人時代

2017年、オープン戦の途中で一軍に昇格すると、オープン戦初登板となった3月8日の中日ドラゴンズ戦で1回無失点の好投を見せ[7]、ドラフト4位の池田駿と共に開幕一軍入り[8]。4月1日の中日ドラゴンズ戦でプロ初登板し、2回を無失点に抑える。4月13日に一軍出場選手登録を抹消された。二軍公式戦においては、33試合に登板し、4勝2敗、防御率2.98の成績を残す[9]。11月25日から台湾で開催されたアジアウインターベースボールリーグに、NPBイースタン選抜として出場[10]。オフに、160万円減の推定年俸840万円で契約を更改した[11]

2018年、2年連続で開幕一軍入り[12]。5月30日の北海道日本ハムファイターズ戦に4回から登板し、1回1/3を無失点に抑えてプロ初勝利を挙げた[13]。その後も中継ぎとして登板を重ね、最終的に25試合に登板し、2勝1敗2ホールド、防御率5.76を記録。オフに、660万円増の推定年俸1500万円で契約を更改した[12]

2019年は春季キャンプの一軍メンバー入りが内定していたものの、直前の自主トレ中にブルペン入りした際に右肩を負傷し、病院で右肩関節唇損傷と診断された。手術せずに保存療法で復帰を目指すも状態が上がらず9月24日に右肩ベネット骨棘切除術を受けた[14][15]。リハビリに時間を要する見込みとなったことから、10月1日に育成選手への移行を前提とした自由契約が通達された[14][16]。11月21日、500万円減の推定年俸1000万円で育成選手として再契約した[17]。背番号は013に変更された[18]

2020年はシーズンの大半をリハビリに費やし、8月24日、三軍の東京国際大学とのプロ・アマ交流戦で実戦復帰[19]。その後、9月30日のイースタン・リーグ東北楽天戦で2年ぶりに公式戦に復帰登板を果たした[20]。オフに、175万円減の推定年俸825万円で契約を更改[21]。背番号が040に変更された[21]

2021年はイースタン・リーグ公式戦38試合に登板し、防御率1.30と好成績を維持していたが[22]、シーズン中の支配下登録とはならなかった。オフに制度上、一度自由契約となったが[23]、12月9日に10万円増の推定年俸835万円で育成選手として再契約した[24]

2022年は春季キャンプを一軍で迎え、オープン戦にも登板。開幕後はイースタン・リーグ公式戦18試合に登板し、4セーブ、防御率1.59と好成績を残していたが、戦線を離脱。5月30日に神奈川県内の病院で右肘のクリーニング術を受け、故障班に合流してリハビリを進めることとなった[25]

2023年はイースタン・リーグ公式戦10試合に登板し、1勝1敗、防御率3.72の成績だった[26]。シーズン途中から体調の異変を感じ、前かがみになると腹の右側が痺れるような感覚を覚え、夏頃には脚にも痺れが生じ、軸足でプレートを蹴れなくなっていた[27]。10月3日に東京都内の病院で、国指定の難病である黄色靭帯骨化症の手術(左右胸椎黄色靭帯切除および椎弓切除術)を受けたことが公表された[28]。10月23日に球団から戦力外通告を受け[26]、翌日には現役引退を決断した[27]
現役引退後

2024年からは球団職員となる[29]
選手としての特徴・人物

最速150km/hのストレートや、ツーシームファストを投げ、フォークボールもあり、スライダーでも空振りを取れるとされている[30][3][31]
詳細情報
年度別投手成績

















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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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