谷 多喜磨(たに たきま、1884年(明治17年)8月 - 1952年(昭和27年)4月2日[1])は、朝鮮総督府官僚。実業家。 佐賀県出身。1909年(明治42年)、東京帝国大学法科大学を卒業し、高等文官試験に合格した[2]。統監府判事となった後、朝鮮総督府事務官に転じ、忠清北道財務部長、黄海道財務部長、忠清南道財務部長、農商工部水産課長、江原道内務部長、京城府尹、平安北道知事を歴任し、1929年(昭和4年)に慶尚南道知事に就任した[2]。 退官後は、朝鮮火災海上保険株式会社社長、朝鮮信託株式会社社長、漢江水力電気株式会社社長、朝鮮漁業組合中央会会長を務めた[3]。 戦後、公職追放となった[4]。
経歴
脚注^ 『朝日新聞』(東京本社発行)1952年4月4日夕刊、2頁。
^ a b 大衆人事録 1930.
^ 人事興信録 1943.
^ 『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』195頁。
参考文献
帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第3版』帝国秘密探偵社、1930年。
人事興信所編『人事興信録 第14版(上)』人事興信所、1943年。
秦郁彦編『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』東京大学出版会、2001年。