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谷保天満宮
拝殿
所在地東京都国立市谷保5209
位置.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度40分48.6秒 東経139度26分37.2秒 / 北緯35.680167度 東経139.443667度 / 35.680167; 139.443667 (谷保天満宮)座標: 北緯35度40分48.6秒 東経139度26分37.2秒 / 北緯35.680167度 東経139.443667度 / 35.680167; 139.443667 (谷保天満宮)
主祭神菅原道真
社格等式内社(小)論社
旧府社
創建延喜3年(903年)
本殿の様式流造
別名谷保天神[1]
例祭9月25日[1]
主な神事庭燎祭・うそ替え(11月3日)
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谷保天満宮(やぼてんまんぐう)は東京都国立市にある神社。甲州街道沿いにある。社伝によると、903年(延喜3年)に菅原道真の三男・道武が、父を祀る廟を建てたことに始まるという。府社。式内社穴沢神社の論社でもある。 東日本最古の天満宮であり、亀戸天神社・湯島天満宮と合わせて関東三大天神と呼ばれる。 南武鉄道(現:JR南武線)が谷保駅の駅名を「やほ」としたため、地名の「谷保」までも「やほ」と言うようになってしまったが、本来の読み方は「やぼ」である。 江戸時代の著名な狂歌師の大田蜀山人(南畝)が、「神ならば 出雲の国に行くべきに 目白で開帳 やぼのてんじん」と詠み、ここから「野暮天」または「野暮」の語を生じたと逸話に伝える。 1908年(明治41年)8月1日、有栖川宮威仁親王の運転する「ダラック 『天満宮略縁記』(谷保天満宮蔵)によると、903年(延喜3年)2月に菅原道真が薨去したとき、子息の道武は自ら像を刻み、廟を建てて祀ったのが谷保天満宮の創建だとされる[2]。921年(延喜21年)11月に道武が薨去すると、道武も相殿に合祀されたという。[注釈 1] 『天満宮略縁記』によると菅原道武は道真の子息であるとしているのだが、道真の子息に道武というものは実在しないという。 多摩川の河岸段丘(立川崖線)に沿って造られている。甲州街道から石段を下って境内に入っていくという「下り宮」であり、天満宮としては珍しい構造となっている。そもそもの甲州街道は天満宮の南側を通り本殿より下に位置していたが、多摩川の流路がたびたび変わり渡し場が変遷していった結果、江戸中期以降は、ほぼ現在と同様に境内の北側に街道が敷かれたとされる。 学問の神・菅原道真を祀っており、またその歴史の長さから受験生やその親達がこぞって訪れ、受験シーズンには境内に合格祈願の絵馬が多数掛けられる。特に初詣の時は行列が見られるほど混雑するようになり、参詣者数は年々増加傾向にある。
概要
由緒
祭神
主祭神:菅原道真
配祀神:菅原道武
配祀神:石土毘古神・天之日鷲命・倉稲魂命
祭事
1月1日に、歳旦祭(さいたんさい)が行われる。
初天神の1月25日とそれに近い日曜日、筆供養
例祭は9月25日で、最も近い土日に万燈行列、花万灯、古式獅子舞が催される。また、100年に一度、大祭が行われ盛大な神事となる。
11月3日に、鷽替え神事や庭燎祭
11月の一の酉には、大鷲祭が行われる。
11月23日には、新嘗祭(にいなめさい)が行われる。
12月の第一日曜日には、交通安全発祥の地であることにちなみ、境内にクラシックカーが集まり旧車祭が行われる。
境内