讃美歌_(1903年版)
[Wikipedia|▼Menu]

讃美歌 (1903年版)(さんびか1903ねんばん)は1903年明治36年)に日本最初のキリスト教各派の賛美歌集を総合した共通讃美歌集。
歴史

出版後約30年間、讃美歌 (1931年版)が出版されるまで日本全国のキリスト教会で用いられた。1909年には第2編が発行され、後に作者紹介を含む1、2編合本も発行された。また浸礼派用の讃美歌が付加されたバージョンもある。ソルファートニック(所謂ドレミ)の付記されたものと、付記されていないバージョンがある。後年はソルファートニックのついているもののみとなった。

湯谷磋一郎、別所梅之助三輪源造、マクネアの四人によって編集された。小崎弘道和田秀豊なども手伝った。

459篇の歌と、3篇の頌栄と、18篇の讃詠からなっている。

特徴としては、福音唱歌を多く取り入れていること、西洋の民謡曲を多く用いた事である。

欠点は、歌詞と音楽が一致していないことである。
参考文献

日本基督教団讃美歌委員会編『讃美歌略解 前編 歌詞の部』日本基督教団出版局、1954年

関連文献

委員『讃美歌
』警醒社、教文館、1903年12月

尾島真治著『讃美歌説明』警醒社書店、1910年4月

関連項目

十字架の血に










日本のキリスト教史
カトリック

安土桃山時代

ヤジロウ - ザビエル来日(1549年)- 鹿児島のベルナルド- 籠手田安経 - ロレンソ了斎 - 大内義隆 - キリシタン大名 - 大村純忠 - 有馬晴信 - 高山右近 - 大友義鎮 - 細川ガラシャ - 天正遣欧少年使節(1582年) - バテレン追放令(1587年) - サン=フェリペ号事件(1596年) - 日本二十六聖人(1597年) - キリシタン版 - ドチリナ・キリシタン
江戸時代

慶長遣欧使節(1613年) - 禁教令(1612年・1613年) - 元和の大殉教(1622年) - 聖トマス西と15殉教者(1633年 - 1637年) - 八重山キリシタン事件(1634年) - 島原の乱(1637年) - 郡崩れ(1657年) - 豊後崩れ(1660年) - 濃尾崩れ(1661年) - 浦上一番崩れ(1790年) - 天草崩れ(1805年) - 浦上二番崩れ(1842年) - 浦上三番崩れ(1856年) - 隠れキリシタン - 転びキリシタン - 踏み絵 - 宗門改
幕末明治時代

ベルナール・プティジャン - 大浦天主堂 - 浦上四番崩れ(1867年) - 津和野・乙女峠の殉教者 - 高木仙右衛門 - 五島崩れ(1868年)
大正昭和初期

上智大生靖国神社参拝拒否事件(1932年) - 奄美カトリック迫害(1933年) - 祖国に対する信者のつとめ(1936年)
戦後

ヨハネ・パウロ2世来日(1981年) - フランシスコ来日(2019年)

プロテスタント
主流派

幕末明治時代

横浜バンド(1859年) - 日本基督公会(1872年) - 横浜宣教師会議(1872年) - 熊本バンド(1876年) - 札幌バンド(1876年) - 日本基督一致教会(1877年) - 第一回大親睦会(1878年) - 東京青年会(1880年) - リバイバル(1883年) - 大阪宣教師会議(1883年) - 第三回大親睦会(1883年) - 福音同盟会(1885年) - 明治元訳聖書(1887年) - インブリー事件(1890年) - 内村鑑三不敬事件(1891年) - 日本の花嫁事件(1893年) - 東京宣教師会議(1900年) - 二十世紀大挙伝道(1901年) - 共通讃美歌(1903年) - 宣教開始50年記念会(1909年) - エディンバラ会議(1910年)


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:16 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef