讃美歌 (1903年版)(さんびか1903ねんばん)は1903年(明治36年)に日本最初のキリスト教各派の賛美歌集を総合した共通讃美歌集。 出版後約30年間、讃美歌 (1931年版)が出版されるまで日本全国のキリスト教会で用いられた。1909年には第2編が発行され、後に作者紹介を含む1、2編合本も発行された。また浸礼派用の讃美歌が付加されたバージョンもある。ソルファートニック(所謂ドレミ)の付記されたものと、付記されていないバージョンがある。後年はソルファートニックのついているもののみとなった。 湯谷磋一郎
歴史
459篇の歌と、3篇の頌栄と、18篇の讃詠からなっている。
特徴としては、福音唱歌を多く取り入れていること、西洋の民謡曲を多く用いた事である。
欠点は、歌詞と音楽が一致していないことである。
参考文献
日本基督教団讃美歌委員会編『讃美歌略解 前編 歌詞の部』日本基督教団出版局、1954年
関連文献
委員『讃美歌』警醒社、教文館、1903年12月
尾島真治著『讃美歌説明
ヤジロウ - ザビエル来日(1549年)- 鹿児島のベルナルド- 籠手田安経 - ロレンソ了斎 - 大内義隆 - キリシタン大名 - 大村純忠 - 有馬晴信 - 高山右近 - 大友義鎮 - 細川ガラシャ - 天正遣欧少年使節(1582年) - バテレン追放令(1587年) - サン=フェリペ号事件(1596年) - 日本二十六聖人(1597年) - キリシタン版 - ドチリナ・キリシタン
江戸時代
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幕末・明治時代
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大正・昭和初期
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戦後
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プロテスタント
(主流派)
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