讃岐局
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讃岐局(さぬきのつぼね、生没年不詳)は、鎌倉時代中期の女性鎌倉幕府第5代執権北条時頼側室北条時輔の生母。三河局(みかわのつぼね)とも言われる[1]
生涯

出自は出雲横田荘地頭の三処氏[2]

最初は鎌倉幕府の将軍家に仕えた。宝治2年(1248年)に時頼との間に庶長子である時輔を生んでいる。文永9年(1272年)に時輔が殺害されると出家して妙音と名乗った[1]。そして横田荘岩屋寺で余生を過ごした[2]
脚注[脚注の使い方]^ a b 高橋慎一朗 2013, p. 223.
^ a b 高橋慎一朗 2013, p. 93.

参考文献

高橋慎一朗『北条時頼』吉川弘文館〈人物叢書〉、2013年。 


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