議論学
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議論学(ぎろんがく、: argumentation theory)とは、「議論」(argument)について研究する学問分野である。具体的には、批判的思考に基づく推論を通じて、結論合意が形成されるまでの過程(議論過程)について研究する、人文科学社会科学の諸分野からなる学際的な学問分野である。ここでいう「議論」には、討論ディベート対話会話説得交渉論文といった、様々な言語コミュニケーションが含まれる。これらを研究するにあたって、推論規則や、人間またはAIの思考過程も研究対象となる。

議論は、日常生活から政治専門職の現場にいたるまで、様々な文脈で、様々な目的のために行われる。例えばディベートや交渉は、参加者各々が受け入れられる結論に到達するための議論である。一方で、相手に勝つことを目的とする討論・論争もまた議論の一種である。そのような事情から、議論学の研究成果は様々な用途のために用いられる。合理的議論、一般的な会話、あるいは議論の過程で自己の信念や私欲を守るための手段としても利用される。

議論学はの分野でも使われる。例えば裁判の時に裁判官に提出する主張を準備する場合や、様々な証拠の有効性を判断する場合に使われる。また、議論学者は、組織の関係者が非合理的に行った判断を正当化しようとする際に使う前後即因果の誤謬について研究する。

議論学の代表的な学者として、スティーヴン・トゥールミンがいる(#理論)。
議論の重要な要素

明示的なものにしろ暗示的なものにしろ議論の内容を理解しよく知ること。さまざまな種類の対話の参加者の目的を理解しよく知ること。

結論がそこから導かれる前提が何かを知ること。

証明責任―誰が最初に主張して、それゆえにその主張を採用する価値があるという証拠を提出する責任があるのかを決定すること―を導入すること。

「証明責任」を導入しようとした人にとって、反対者を説得して説明責任を受け入れさせるか無理やり受け入れさせるために証拠を整理する賛成者がいること。これを達成するための方法は正当・健全・適切で、弱い部分のない議論を形成し、容易に攻撃されなくなる。

ディベートにおいて、証明責任が果たされると答弁責任が生じる。相手の主張が間違っていると言うためには、相手の主張の前提や推論過程を攻撃したり、あり得る反例を持ち出したり、
論理的誤謬を指摘したり、相手の主張に含まれる根拠からははっきりとは結論が主張できないことを示したりしようとしなければいけない。

議論の内部構造

一般的には議論は以下のような内部構造を有する。
一揃いの仮定・前提

推理・推論の方法

結論・最終的な意味

議論は少なくとも一つの前提、少なくとも一つの結論を有さなければならない。

古典論理はしばしば結論が前提や傍証に論理的に従うための推論の方法として使われる。ここで一つの問題として、一揃いの前提が矛盾が含まれるなら、そういう矛盾した前提からはどんな結論でも引き出せるということがある。それゆえ一般的に、一揃いの前提に矛盾が含まれていないことが要求される。一揃いの前提に注目して、結論を出すうえで重要なものだけを残して余計な前提をそぎ落とすことを要求するのもよいやり方である。こういった、前提を無矛盾で最小限のものにする議論をMINCON議論と呼ぶ。このような議論過程は法や医学の分野に応用されてきた。議論学の第二の学派は、そこでは「主張」が原始命題とみなされ、そのため主張の内部構造が考慮に入れられないような抽象的な議論を研究する。

最も一般的な形式では、討論は対話に引きこもれた個々人及びその対話の相手を必然的に伴う。それらの人々は異なる立場を主張し、互いに相手を説得しようと試みる。説得に加えて別の種類の対話としては、論争、情報検索、質問、交渉、審議、弁証術がある(ダグラス・ウォルトン)。弁証術はプラトンや、プラトンがその対話篇で利用した、様々な登場人物や歴史的人物に批判的に問いかけるソクラテスによって有名になった。
議論過程と知識の根拠

議論学は基礎づけ主義にその起源をもつ。基礎づけ主義は哲学の認識論の理論である。そこでは認識の普遍的な体系の形式(論理)と資料(事実に基づいた法)の中で主張の根拠を探すことが試みられる。しかし議論の研究者はアリストテレスの系統だった哲学や、プラトンカントの観念論を否定した。彼らは、主張の前提は形式哲学的体系にその健全性を依存するという考えに疑問を投げかけ、最終的には放棄した。こうしてこの分野は広がった[1]

「クォータリー・ジャーナル・オブ・スピーチ第44号」(1963年)に掲載されたカール・R・ウォレスの影響力のあるエッセイ「実体と修辞:よい根拠」によって多くの学者が「市場の議論」―普通の人々が行う普通の議論―の研究を行うようになった。市場の議論学に影響力のあるエッセイとしては他にレイ・リン・アンダーソンとC・デイヴィッド・モーテンセンの「論理学と市場の議論学」(クォータリー・ジャーナル・オブ・スピーチ第53号、1967年、p143~p150)[2][3]があり、この潮流によって後に知識社会学の発展との提携が自然に起きた。[4]哲学、特にジョン・デューイリチャード・ローティといったプラグマティズムの近年の発展との提携を引き起こす学者もいる。ローティはこの転換を強調して「言語論的転回」と呼んだ。

議論学のこういった新しい混成的な取り組みは倫理的、科学的、認識論的問題や科学だけが答えられる自然の問題に関して、結論を確かなものにするための経験的な根拠をもって使われる場合もあれば根拠なく利用される場合もある。プラグマティズムやその他多くの人文・社会科学の発展をよそに、「非哲学的」議論学が独自の知的領域に主張の形式的根拠や物質的根拠を据えて発展してきた。その独自の知的領域としては非形式論理学や社会心理学がある。こういった新しい分野は非論理的であったり反論理的であったりするわけではない。それらは大多数の人の集団の発話になにがしかの首尾一貫性を見出す。ゆえにこういった理論は、社会的な知識の基盤に焦点を当てている点でしばしば「社会学的」だと言われる。
コミュニケーション学や非形式論理学による議論学への取り組み

一般的には、「議論過程(argumentation)」という言葉はウェイン・E・ブロックリード、ダグラス・エーニンガー、ジョゼフ・W・ウェンツェル、リチャード・リーク、ゴードン・ミッチェル、キャロル・ウィンクラー、エリック・ガンダー、デニス・S・グーラン、ダニエル・J・オキーフェ、マーク・アーカス、ブルース・グロンベック、ジェームズ・クランプ、G・トーマス・グッドナイト、ロビン・ローランド、デール・ハンプル、C・スコット・ジェイコブス、サリー・ジャクソン、デイヴィッド・ザレフスキ、そしてチャールズ・アーサー・ウィラードといったコミュニケーション学者に使われてきたが、一方で「非形式論理」という術語はウィンザー大学のラルフ・ジョンソン、J・アンソニー・ブレアといった哲学者から影響を受けた哲学者たちに好んで使われてきた。


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