講道館
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水戸藩などの藩校の「弘道館」とは異なります。

公益財団法人講道館
Kodokan Judo Institute
講道館国際柔道センター(左)と講道館本館(右)
道場や資料館はセンターに、事務局は本館にある[1]
創立者嘉納治五郎
団体種類公益財団法人
設立1882年明治15年)
所在地東京都文京区春日1丁目16番30号
.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度42分29秒 東経139度45分12秒 / 北緯35.70806度 東経139.75333度 / 35.70806; 139.75333座標: 北緯35度42分29秒 東経139度45分12秒 / 北緯35.70806度 東経139.75333度 / 35.70806; 139.75333
法人番号5010005018478
主要人物館長 上村春樹
活動地域 日本
主眼柔道を指導研究教授してその普及振興を図り、以て国民就中青少年の心身鍛錬に資すること
活動内容青少年を対象とする学校講道館の運営 他
収入708,345,000円(2018年度予算)[2]
標語精力善用
ウェブサイトhttp://kodokanjudoinstitute.org/
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講道館正面にある嘉納治五郎

公益財団法人講道館(こうえきざいだんほうじんこうどうかん)とは、柔道家であり、教育家でもある嘉納治五郎が興した柔道総本山
概要

1882年明治15年)5月に嘉納治五郎によって創設され、1909年(明治42年)に財団法人となり、段位の発行、大会開催、講習会、機関誌の発行、書籍の刊行など柔道普及のための諸活動を行っている。2012年平成24年)4月1日より公益財団法人に移行した。本館5階に全日本柔道連盟事務局が置かれている。
歴史

1882年明治15年)、嘉納治五郎が東京下谷北稲荷町の永昌寺にて創立[3]。人の道を講ずるところという意味で「講道館」と名付けられた[4]。わずか12畳の道場で弟子の富田常次郎と稽古を始め、樋口誠康西郷四郎ら数人がそれに加わった。翌年、南神保町、上二番町と移転し、1884年には五か条からなる入門誓文帳が作成され、富田を筆頭に門弟らが署名と押印した。このとき西郷が印鑑の代わりに血判を押したことから以降署名と血判が伝統となった[5]。富田と西郷ら高弟はのちに講道館四天王と呼ばれた。同年、鏡開式・寒稽古・月次勝負・紅白勝負などの諸行事も始まった[3]

1886年に富士見町に移転し、翌年、柔の形固の形が制定される[3]。その後も1889年に本郷真砂町、1891年に二番町、1893年に下富坂町と移転を続け、1894年についに講道館大道場を落成した[3]。この間に、分場として伊豆韮山に講道館韮山分場、江田島海軍兵学校に講道館江田島分場、京都に講道館京都分場、熊本市内に熊本講道館が設けられた[3]。1901年には大羽久子(のちの桜蔭高等女学校校長・宮川ヒサ)を初の正式な女性入門者として許可した[6][7]

1958年昭和33年)に東京都文京区春日1-16-30に移転し、現在に至っている。また大阪にも支部がある(「講道館大阪国際柔道センター」大阪市城東区永田4-15-11)。

体の弱かった嘉納治五郎は投技に優れた天神真楊流柔術福田八之助、磯正智に学び、後に捨身技中心の起倒流柔道を飯久保恒年に学んだ。天神真楊流と起倒流に存在した乱捕技を整理、体系化を図り、「」は根本で「」はその応用である、という考えから「術」ではなく「道」を講ずるところとして、名称を「柔術」から「柔道」と改めた。 柔術の技術伝授の制度も改めて段級制を採用、段位制囲碁将棋から取り入れたとされる。柔道に関する研究は、嘉納治五郎が1932年(昭和7年)から講道館医事研究会を組織し医学的課題にも取り組んだ。戦後、研究会は1948年(昭和23年)に講道館柔道科学研究会と改称し科学的研究に着手した。研究の成果は『講道館柔道科学研究会紀要』として刊行されている。

世界の柔道の統括団体である国際柔道連盟も、規約第1条で、「嘉納治五郎によって創設された心身の教育システムであり、かつオリンピック種目としても存在するものを柔道と認める」と規定している。初代国際柔道連盟会長は嘉納履正であった。また、嘉納行光第4代館長はアジア柔道連盟会長を務めた。講道館創立130周年記念式

独自の伝統行事として、館内では、1月に寒稽古を7月に暑中稽古をそれぞれ10日間行っている。2・3・4・5・7・8・9・11・12月は、月例の月次(つきなみ)試合、6・10月には紅白試合が行われている。夏季は夏期講習会二部、一部(形)、女子柔道、少年柔道などが集中して開催されている。

試合については、4月の全日本柔道選手権大会、10月の全日本柔道「形」競技大会、11月の講道館杯全日本柔道体重別選手権大会、12月の嘉納治五郎杯東京国際柔道大会(のちのグランドスラム・東京)などが全日本柔道連盟との共催で行われている。

講道館の初段に合格すると地方在住者も門人となるが、6段以上の高段者に限っては講道館は名簿を発行している。

戦前・戦中は剣道修道学院有信館空手松濤館大日本武徳会武道専門学校(武専)とともに武道総本山として知られた。占領期にはGHQにより制約を受けた。
歴代館長

初代館長は嘉納治五郎(1882-1938)

第2代館長は
南郷次郎(嘉納治五郎の姉の子、海軍少将)

第3代館長は嘉納履正(嘉納治五郎の次男、全日本柔道連盟(全柔連)初代会長 1946-1980)

第4代館長は嘉納行光(1980-2009)(嘉納履正の子・嘉納治五郎の孫で全柔連2代会長)と、嘉納家の人物が代々継承してきたが、高齢などにより2009年4月に退任し、名誉館長となった。

第5代館長は上村春樹で、嘉納家以外で初めて就任した。第21回夏季オリンピックモントリオール大会重量級日本代表で、金メダリストである。ほぼ同時期に全日本柔道連盟会長にも就任した。

機関紙詳細は「柔道 (雑誌)」を参照

機関誌は1898年(明治31年)に「国士」として刊行を開始してから、「柔道」「有効乃活動」「大勢」「柔道界」「作興」「柔道」と改称して刊行されている。
歴代十段位者一覧

※ 太字は存命中の人物

代氏名
1
山下義韶
2磯貝一
3永岡秀一
4三船久蔵
5飯塚国三郎
6佐村嘉一郎
7田畑昇太郎
8岡野好太郎
9正力松太郎
10中野正三
11栗原民雄
12小谷澄之


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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