講談社フライデー事件
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この項目では、講談社と幸福の科学との争議について説明しています。ビートたけしによる『フライデー』編集部襲撃事件については「フライデー襲撃事件」をご覧ください。

講談社フライデー事件(こうだんしゃフライデーじけん)とは、講談社による幸福の科学を批判した報道に関して、幸福の科学が講談社に対して1991年9月に行った一連の抗議行動。一般には「フライデー事件」と呼ばれることもあるが[1]、幸福の科学側の主張によれば、幸福の科学および同教団会員が一連の争議を「講談社フライデー事件」と呼びはじめた[2][3]ことからこの名称が使われだした。また、幸福の科学側では「講談社事件」[4][5]、「希望の革命」[2]とも呼んでいる。

宗教法人幸福の科学・幸福の科学出版・幸福の科学会員と、講談社・日刊現代社・記事の執筆者の間で多くの訴訟が行われ、最終的に複数の記事の一部に違法性が認められるとともに、幸福の科学の抗議行動についても大川隆法および幸福の科学の指示による業務妨害行為であるとして違法性が認定され[6][7][8]、裁判闘争の結果、両者の違法性が認められる結果となった。
概要
推移

1991年5月、講談社は雑誌『フライデー』『週刊現代』をはじめ系列のメディアで、当時大規模な広告キャンペーンを実施して注目を集めていた[9]宗教法人幸福の科学に対する批判的な記事の出版を開始し[10]、『フライデー』8月23・30日合併号(8月9日発売)の「急膨張するバブル教団『幸福の科学』/大川隆法の野望」[11]をはじめ、批判的な記事の連載を同年11月まで行った。

幸福の科学および代表(当時「主宰」)大川隆法はこうした一連の記事のうち、『フライデー』8月23・30日合併号に掲載された、旧姓中川を名乗る若い大川隆法が東京・墨田区人生相談をしている者にノイローゼの相談に来たとの内容[12][13]が虚偽であるとして、名誉棄損で講談社と『フライデー』編集長、および記事の執筆者を告訴するとともに提訴し[14]、その他の『フライデー』の記事や『週刊現代』の記事について同様の訴訟を行った。

また、訴訟の開始前の9月2日から6日までの5日間に、幸福の科学会員は講談社の本社に直接抗議を行なうとともに、社屋近隣での数百名を動員したデモンストレーションや、同社および株式会社日刊現代に対する多量の手紙・電話・ファクス送信による抗議行動を行い、これに対して日刊現代および講談社は幸福の科学による組織的な業務妨害であるとして同教団を相手に告訴・提訴を行った。その後、9月7日から同教団の全国の会員は、当時の有名人会員景山民夫小川知子を会長・副会長として「講談社フライデー全国被害者の会」を結成し、全国7つの裁判所で「悪意に満ちた記事で信仰心を傷つけられた」として講談社などに損害賠償を請求する提訴を行った。幸福の科学側はこれを「精神的公害訴訟」と呼んで報道被害の実態を告発した[15]

その他、幸福の科学やその関連会社と、講談社やその関係者間に複数の訴訟が提起され、最終的に、2002年に至るまで係争が続くこととなった。
記事の違法性が認定された裁判

一連の民事訴訟のうち、宗教法人幸福の科学が『フライデー』10月4日号(9月20日発売)における記事による名誉毀損を訴えた訴訟では、1998年11月の東京高裁判決において講談社側の裏付け取材の乏しい虚偽の記事の違法性が認定され[16][17]、判決は確定した[2]

また『週刊現代』7月6日号(6月24日発売)、9月28日号(9月16日発売)の2つの記事に対する名誉毀損訴訟でも、1999年7月の最高裁判決、差し戻された2000年10月の東京高裁判決で同様の違法性が認定され[18][19][20][21]、これが2001年6月の最高裁決定で確定した[2]

さらに『フライデー』の中心的執筆者が連載した記事を編集して別の書籍を刊行したことに対して幸福の科学が提起した訴訟では、1996年10月の東京地裁判決で執筆者側の違法性が認められ[22]、判決が確定した[2]

幸福の科学会員が全国7か所の地方裁判所に起こした訴訟のうち、景山民夫・小川知子2名が名誉毀損を加えて提訴した訴訟においてのみ、東京高裁(1995年10月30日)は、『フライデー』9月27日号(9月12日発売)、同11月8日号(10月25日発売)、『週刊現代』1992年6月6日号(5月25日発売)の3つの記事について違法性が認定され[23]、これが1999年3月の最高裁判決で確定した[24][25]

一連の事件のきっかけとされる[12]『フライデー』8月23・30日合併号の記事は違法性を認定されなかった[26]
抗議行動の違法性が認定された裁判

訴訟において幸福の科学は、一連の抗議行動が幸福の科学の指示による組織的動員であることを否認したが[27]、東京地裁(1996年12月20日)は一連の抗議行動の違法性を認定した上で、幸福の科学が大川の意向を受けて抗議活動の展開を決定、会員を招集・扇動、抗議の各作戦を立案し、各支部・各地区に詳細な指示を与えていた事実を認定し、抗議行動は幸福の科学の統一的指揮指令に基づくものであると認められるとした[27]。その上で、言論機関に対する抗議行動を宗教活動と位置づけた大川の講演(9月15日)などから、各抗議行動そのものが幸福の科学の指示若しくは教義に基づく実践行為であり、幸福の科学は民法七一五条に定める使用者責任を負うものとした[27][6]。講談社の損害額については一審(東京地裁)で1000万円としたが、控訴審(東京高裁)において120万円へ変更[8]、上告審(最高裁第二小法定)は幸福の科学の上告を棄却して判決が確定した[26]

これは一連の抗議行動が大川隆法および幸福の科学の指示による業務妨害行為であると認めたもの[6][8]であった。
その他の裁判

一連の反幸福の科学キャンペーンの理論的支柱となっていた宗教学者の島田裕巳が、キャンペーン記事と同趣旨の記事を別の雑誌に発表したことに対し、幸福の科学が提訴した訴訟は1996年11月に島田が幸福の科学に謝罪する内容で、和解が成立した[28]
幸福の科学側が問題とした媒体

幸福の科学側が誹謗・中傷されたと主張する講談社系列のマスコミの記事、抗議行動前[29][30]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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