諸葛京
西晋
江州刺史
出生生年不詳
徐州琅邪郡陽都県
?音zh?g? j?ng
字行宗
主君司馬炎→司馬衷
父諸葛瞻
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諸葛 京(しょかつ けい、生没年不詳)は、中国西晋時代の政治家。字は行宗。本貫は徐州琅邪郡陽都県。蜀漢の丞相諸葛亮の孫。諸葛瞻の次男。 魏の景元4年(263年)、蜀漢に仕えていた父の諸葛瞻と兄の諸葛尚が、同国の滅亡に当たり戦死。咸熙元年(264年)、諸葛京の身柄は同族の諸葛顕と共に、蜀から河東郡に移された。 司馬炎が魏から禅譲を受け、晋の皇帝に即位した後の泰始4年(268年)3月、元蜀将の羅憲は下問を受けて蜀の人材を推挙したが、その中に諸葛京も含まれている[1]。泰始5年(269年)2月、才能を評価されて官吏に登用された[2]。 ?県令に昇進した後、尚書僕射の山濤から推挙を受けた。「?県令諸葛京。その祖父の諸葛亮は後漢末の動乱に遭遇して中原から隔てられ、父子とも蜀に居住しました。天命を弁えなかったとはいえ、自分の主君に対して心を尽くすことに努めました。諸葛京も?を治めて評判を上げています。私は彼を東宮舎人に任じて、人に仕える場合の道理を明らかにし、梁州・益州の世論に沿うべきと考えます」 官位は江州刺史にまで昇った。没年は不明だが、江州の設置が元康元年(291年)7月[3]のため、それ以降と推察される。 後代、中華人民共和国の蘭谿市では諸葛亮の子孫と称する一族が『諸葛八卦村』という村を形成しているが、その村で1992年に発見された家系図によると諸葛京には諸葛衝・諸葛?という子がおり、彼らはその子孫であるという。諸葛鎮 (浙江省)も参照。
生涯
家系図?統?林諸葛誕
諸葛恪諸葛喬諸葛融諸葛瞻諸葛懐諸葛望
諸葛攀諸葛尚諸葛京諸葛質諸葛恢
諸葛顕
出典
陳寿撰、裴松之注『三国志』巻35 蜀書 諸葛亮伝
脚注^ 『三国志』霍峻伝注『襄陽記』より。羅憲は他に常忌・杜軫・寿良・陳寿・高軌・呂雅・許国・費恭・陳裕を推薦し、全員が任用され、世間で著名となった。
^ 房玄齢等『晋書』武帝紀より。ただし武帝紀では己未の日とするが、泰始5年2月に己未は存在せず。
^ 『晋書』孝恵帝紀