もろほし だいじろう諸星 大二郎
生誕 (1949-07-06) 1949年7月6日(74歳)
日本・長野県
国籍 日本
活動期間1970年 -
ジャンルSF・伝奇
代表作『妖怪ハンター』
『西遊妖猿伝』など
受賞手塚賞入選
日本漫画家協会賞優秀賞
手塚治虫文化賞マンガ大賞
文化庁メディア芸術祭マンガ部門優秀賞
芸術選奨文部科学大臣賞
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諸星 大二郎(もろほし だいじろう、1949年7月6日 - )は、日本の漫画家。姓はもろぼしとも。別名に諸星義影がある。長野県北佐久郡軽井沢町生まれ、東京都足立区出身。1970年『COM』にてデビュー。代表作に『妖怪ハンター』『西遊妖猿伝』など。 主に古史古伝に題材をとり、異形の存在によって日常の価値観や世界観を転倒させるような作品を多数発表している。また日常の不安を形にしたような寓意的な作品も得意とする。作品にはクトゥルー神話の間接的影響も随所に見受けられる。 重い読後感を残す伝奇作品を描く一方で、『ど次元世界物語』など、軽めの不条理めいたユーモア作品もデビュー当初より発表している[注 1]。また近作にはグロテスクさとユーモアが同居した『栞と紙魚子』シリーズという少女漫画作品もある。 SF・伝奇漫画家の星野之宣と親交がある。 東京都立江北高校卒業後、東京都電気研究所で3年間公務員を務めたのち、1970年に「硬貨を入れてからボタンを押してください」で漫画雑誌『COM』の読者投稿コーナー「ぐら・こん」で佳作5席。同年COM12月号にて「ぐら・こん」入選作の「ジュン子・恐喝」でデビューを果たす。その後、『COM』、『漫画アクション』、『パピヨン』誌などに作品を発表する。 1974年に初めて少年ものとして描いた『生物都市』で第7回手塚賞に応募して入選、同年から『週刊少年ジャンプ』で『妖怪ハンター』[注 2]の連載を始め、本格的な作家活動に入る。その後、同誌で『暗黒神話』、『孔子暗黒伝』を連載する。 1979年から『週刊少年チャンピオン増刊』『月刊少年チャンピオン』などで『マッドメン』シリーズを不定期に掲載する。 1983年から『月刊スーパーアクション』誌で『西遊妖猿伝』を連載開始する。それまで知る人ぞ知る作家に留まっていたが、この作品で一般的な認知を得るようになる。2000年には同作で第4回手塚治虫文化賞マンガ大賞を受賞した。 2004年、劇画と同じ不条理の世界を描いた初の小説集『キョウコのキョウは恐怖の恐』を刊行した。それまでに発表してきた短編小説が加筆・修正のうえ収録されている。 2007年、2冊目の小説集『蜘蛛の糸は必ず切れる』を発表した。 2020年、展覧会『デビュー50周年記念 諸星大二郎展 異界への扉』が11月より全国巡回[1]。 2021年、デビュー50周年を記念して『諸星大二郎 デビュー50周年記念 トリビュート』を河出書房新社より刊行[2]。諸星の「寄稿者への逆トリビュートイラスト」も収録されている[2]。 選考委員のほぼ全員一致で決定した「生物都市」の手塚賞入選ではあったが、あまりの面白さに、とても無名の新人の作品とは思えないとして、先行するSF作品の中に類似のものがあるのではないかとの質問が、他の選考委員からSF作家である筒井康隆委員のもとに殺到した。のちに筒井は自身が編纂した『'74日本SFベスト集成』に「生物都市」を収録し、解説文でそのときの選考の経緯を記している[3]。 同じ手塚賞受賞作家で、長年にわたり互いに気になる存在であった星野之宣とは、星野の『ヤマトの火』連載開始時の対談企画において、初めて実際に会うこととなった。このとき上京して諸星の自宅を訪ねた星野は、「本棚に自分が持っている本と同じものが並んでいることに苦笑した」と語っている[4]。なお、『妖怪ハンター』に登場する橘(たちばな)という在野の民俗学者は、容姿が星野に似ている。 独創性の強い画風から、アシスタントに「どこをどうアシすればいいか分からない」と言われたエピソードを持つ諸星は、手塚治虫にも「諸星さんの絵だけは描けない」と言われている[5]。一方で、諸星はジャンルを越えた多くの著名人の作品に影響を与えている。 2000年代以降は諸星作品の研究ムックなどで、たびたび、インタビューや対談に応じるようになっている。2018年11月には川崎市民ミュージアムでの「ビッグコミック50周年展」にあわせて開催されたトークイベント「星野之宣×諸星大二郎 ?ふたつの宇宙、その中心に迫る?」(司会・夏目房之介)にも出演した。 2020年11月12日放送『浦沢直樹の漫勉neo』(NHK Eテレ)に出演。4日間にわたり撮影された執筆の様子などが放送された[6]。
人物・作風
来歴
エピソード
細野晴臣の「THE MADMEN」[注 3]は、諸星の作品に触発されて作られたとされている[7]。細野によれば元々は「MUDMEN(泥の男)」という題名で、製作会社の綴りの間違いがそのままになったのだという。『世界伝奇行 パプアニューギニア マッドメン』収録の諸星・細野対談での細野の発言によると、『マッドメン』シリーズの一編「鳥が森に帰る時」の中に出てくる歌「ニューギニア ガワン族に伝わる歌」(登場人物の篠原波子の「訳」と記されており、何らかの伝承音楽の歌詞を諸星がアレンジしたもの)の歌詞の影響が強いという。
庵野秀明の『新世紀エヴァンゲリオン』の巨大人型兵器には「影の街」に登場する巨人の影響があるとされ[7]、岡田斗司夫が語るところによると、庵野は以前から「このシーンが好きでやりたい」と話していたという[8]。
宮崎駿も諸星作品のファンで、庵野が『風の谷のナウシカ』の制作中に諸星の単行本を机の本棚に並べていたところ、宮崎が手に取って「ここが面白いんだ」と説明し始めたという[9]。
田中啓文の『私立伝奇学園高等学校民俗学研究会』シリーズの主人公・諸星比夏留(ひかる)[10]、高橋留美子の漫画『うる星やつら』の主人公・諸星あたる[7]などの名字の由来である。
女性漫画家のねこぢるは諸星にファンレターを1度送っており、その中で『無面目』に衝撃を受けたと述べている。
かつては公の場にはまず現れなかったので、漫画家の間でもどのような人物であるかはほとんど知られていなかった。手塚治虫の葬儀で偶然一緒になった夏目房之介によると、タクシーの中で柳田國男の本を読んでいたといい、あまりにもハマっていたので衝撃だったと語る。この時は、寡黙な印象を受けたという。
田中圭一が諸星の実子に取材したところによると、温厚な人物で、鼻歌交じりに音楽を聴きながら執筆し、息子が録画した『おそ松さん』など深夜アニメをよく観るという[7]。
受賞歴
1974年 - 第7回手塚賞入選(『生物都市』)[注 4]
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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