諏訪地域
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諏訪地域

諏訪地域(すわちいき)は、長野県南信地方岡谷市諏訪市茅野市を中心とした地域。県を10地域に分ける時に用いられる[1]。旧諏訪郡全体と一致している。

域内人口は194,439人(2019年時点)。原村を除く市町で減少傾向にあり、特に下諏訪町岡谷市諏訪市では深刻である。3つの市を中心とする複眼構造を為す。また最も人口が多い都市は茅野市である。

JR中央本線中央自動車道が通っており、南アルプスを避けて関東地方山梨県東海地方を結ぶ交通の要路である。
概要
自治体

該当する自治体は、西から岡谷市、下諏訪町、諏訪市、茅野市原村富士見町である。諏訪湖を取り巻く西側の「湖周」3市町と、東側の「八ヶ岳山麓」3市町村に緩やかな連携が見られる。

以下は長野県の定義である。

諏訪市

岡谷市

茅野市

諏訪郡下諏訪町富士見町原村

地理諏訪湖とその周辺(山梨県小淵沢上空より)

東京名古屋の二大都市圏から約200kmに位置し、中央自動車道およびJR中央本線が域内の広域交通を大きく担っている。

地域の北西に諏訪湖があり、東側に八ヶ岳連峰がそびえる。諏訪湖周辺は諏訪盆地となっており、人口や産業が集積している。

山:茶臼山八ヶ岳蓼科山霧ヶ峰、三峰山、鷲ヶ峰

河川:宮川上川、中門川、角間川 、島崎川、衣之渡川、舟渡川、砥川、十四瀬川

湖沼:諏訪湖白樺湖蓼科湖鏡湖御射鹿池

気候

周囲を北東にかけては八ヶ岳に連なる山々、南西にかけては南アルプスに連なる山脈に囲まれ、それらの山々と諏訪湖の影響を受ける。内陸性気候の特色を示す県内にありながら、例えば、春夏秋季の降水量は県内比で多め、冬季の降水量は圧倒的に少ないというように、内陸気候の中でも特徴的な気象環境下にある。気候は、湖周部と八ヶ岳山麓部で異なっている。これは、諏訪湖周辺と八ヶ岳山麓の標高差が大きいことに起因するものである。

避暑地と呼ばれる傾向にあるが、平地に限れば夏場の日中の最高気温は30度前後に達し、それほど涼しくはない。ただし、夜から朝にかけては気温は下がり、過ごしやすい気温になる。熱帯夜になることはめったにない。

ただし、諏訪地域の気候は標高差の関係から湖周部と八ヶ岳山麓部で異なっている。諏訪湖周辺では、フェーン現象の影響を受け、標高が760m近くありながら、夏場には高温になることがある。また、冬は比較的乾燥しており、雪が少ないのが特徴である。また、諏訪湖の影響により、周囲よりも冬季の冷え込みは幾分やわらぐが、全面氷結すると、冷え込みが強まるという特徴がある。八ヶ岳山麓にある茅野市の大部分、原村、富士見町は、標高が800m以上となるため、北海道並みに夏は涼しく、冬は寒さが厳しい。ケッペンの気候区分では亜寒帯湿潤気候に分類される。
経済

後述する観光以外に、精密機械を中心に工場が多く諏訪圏工業メッセ[2]という見本市を開催している。これは豊富な諏訪湖周辺の水を利用して古くから製糸業が発達したほか、第二次世界大戦期に関東から軍需工場が疎開した歴史がある。
歴史
古代

縄文、弥生時代から、霧ヶ峰を中心に人類の生活の痕跡がある。下諏訪の和田峠を始めとする黒曜石による石器、また、縄文弥生時代のものと見られる土器の破片も採掘される。
中世・近世

戦国大名諏訪氏によって治められる。代表的人物に諏訪頼重がいる。諏訪地域は東南側で甲斐国(現・山梨県)に接し、他の信濃国人や甲斐武田氏との関りから戦乱が度々起きた。諏訪頼重は武田信玄に攻め込まれ、茅野市上原城、諏訪市四賀の桑原城に立てこもったものの敗れ、甲斐にて自害させられている。その従兄弟である諏訪頼忠によって諏訪氏が再興され、息子の諏訪頼水1600年慶長5年)の関ヶ原の戦いにおける功よって高島藩に封じられている。江戸時代にこの地域を支配していたのは高島藩で、藩庁は高島城。以降10代にわたって、諏訪氏により治められた。甲州街道宿場蔦木宿金沢宿 (甲州街道)上諏訪宿と続き、下諏訪宿は甲州街道の終点で中山道と交わる下諏訪の手前の宿場町として栄える。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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