談山神社
(左から)権殿・十三重塔(神廟)・神廟拝所
所在地奈良県桜井市多武峰319
位置北緯34度27分57.2秒
東経135度51分42.3秒
談山神社(たんざんじんじゃ)は、奈良県桜井市多武峰(とうのみね)にある神社。旧社格は別格官幣社。現在は神社本庁の別表神社。
神仏分離以前は「多武峯妙楽寺(とうのみねみょうらくじ)」と称する寺院であった。現在は桜と紅葉の名所として知られる。目次
1 祭神
2 歴史
2.1 古代
2.2 中世
2.3 近世
3 境内
3.1 主要社殿
3.2 その他
4 摂末社
5 文化財
5.1 国宝
5.2 重要文化財(国指定)
5.3 奈良県指定文化財
5.4 桜井市指定文化財
6 脚注
7 参考文献
8 関連図書
9 外部リンク
祭神
主祭神 - 藤原鎌足公
歴史
古代 藤原鎌足像
鎌倉時代に成立した寺伝によると、藤原氏の祖である中臣鎌足の死後の天武天皇7年(678年)、長男で僧の定恵が唐からの帰国後に、父の墓を摂津国安威(大職冠神社=将軍山1号墳。参照:阿武山古墳)から大和国の当地に移し、その墓の上に十三重塔を造立したのが発祥であるとする。
天武天皇9年(680年)に講堂(現・神廟拝殿)が創建され、十三重塔を神廟として妙楽寺と号した。大宝元年(701年)、十三重塔の東に鎌足の木像を安置する祠堂(現・本殿)が建立され、聖霊院と号した。談山の名の由来は、中臣鎌足と中大兄皇子が、大化元年(645年)5月に大化の改新の談合をこの多武峰にて行い、後に「談い山(かたらいやま)」「談所ヶ森」と呼んだことによるとされる。後に本尊として講堂に阿弥陀三尊像(現・安倍文殊院釈迦三尊像)が安置された。
昌泰元年(898年)に初めて当社の裏山の御破裂山が鳴動する。以後、御破裂山は国に大きな災いが起こる際にその前兆として鳴動するようになり、慶長12年(1607年)までに計35回も鳴動したという。
延長4年(926年)、国内最古となる惣社を創建し、「談山権現」の勅号が下賜される。これにより、妙楽寺、聖霊院、惣社が神仏習合して一体化していった。
天暦10年(956年)、比叡山延暦寺の末寺となり、天禄元年(970年)には摂政藤原伊尹が三昧堂(現・権殿)を建立している。
平安時代には藤原高光が出家後に入山、増賀上人を招聘するなど、藤原氏の繁栄と共に発展を遂げたが、当社・妙楽寺は天台宗の寺院であり、藤原氏の氏寺である法相宗の興福寺、及び藤原氏の氏神である春日大社との仲は良くなかった。永保元年(1081年)3月、興福寺に焼き討ちされる。天仁元年(1108年)9月には浄土院、食堂、経蔵、惣社、大温室、多宝塔、灌頂堂、五大堂、浄土堂に加え、近くの鹿路の村々が悉く興福寺の僧兵に焼かれた。承安3年(1173年)6月には十三重塔を含む境内全域が興福寺の焼き討ちで焼失してしまった。