読売新聞
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.mw-parser-output .side-box{margin:4px 0;box-sizing:border-box;border:1px solid #aaa;font-size:88%;line-height:1.25em;background-color:#f9f9f9;display:flow-root}.mw-parser-output .side-box-abovebelow,.mw-parser-output .side-box-text{padding:0.25em 0.9em}.mw-parser-output .side-box-image{padding:2px 0 2px 0.9em;text-align:center}.mw-parser-output .side-box-imageright{padding:2px 0.9em 2px 0;text-align:center}@media(min-width:500px){.mw-parser-output .side-box-flex{display:flex;align-items:center}.mw-parser-output .side-box-text{flex:1}}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .side-box{width:238px}.mw-parser-output .side-box-right{clear:right;float:right;margin-left:1em}.mw-parser-output .side-box-left{margin-right:1em}}この記事の項目名には以下のような表記揺れがあります。

読売新聞

讀賣新聞

読売新聞

読売新聞創刊号
1874年11月2日
種類日刊紙
サイズブランケット判

事業者株式会社読売新聞グループ本社
株式会社読売新聞東京本社
株式会社読売新聞大阪本社
株式会社読売新聞西部本社
本社東京都千代田区大手町1丁目7番1号.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度41分14秒 東経139度45分51.1秒 / 北緯35.68722度 東経139.764194度 / 35.68722; 139.764194
大阪府大阪市北区野崎町5-9
福岡県福岡市中央区赤坂1-16-5
代表者山口寿一(読売新聞グループ本社社長)
創刊1874年11月2日(東京)[1]
1952年11月25日(大阪)
1964年9月23日(西部)
言語日本語
発行数【朝刊】約598万部[2][注釈 1]
【夕刊】約162万部[3]
ウェブサイトwww.yomiuri.co.jp
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読売新聞東京本社(千代田区大手町)読売新聞旧東京本社(千代田区大手町、現存せず)2010年10月から2014年1月まで読売新聞東京本社の仮社屋として使用されていた旧日産自動車本社ビル(中央区銀座)読売新聞中部支社新社屋読売新聞中部支社(旧中部本社)旧社屋読売新聞大阪本社読売新聞西部本社

読売新聞(よみうりしんぶん、題字: 讀賣新聞、: The Yomiuri Shimbun)は、読売新聞東京本社読売新聞大阪本社および読売新聞西部本社が発行する新聞[4]。朝刊発行部数は598万部[5]と国内首位の発行部数を誇る代表的な日本の全国紙である。デジタル版(ニュースサイト)として「読売新聞オンライン」が存在する。

題号は江戸時代瓦版を読みながら売っていた「読売」に由来する。創刊時には、他に「ふりがな新聞」「やはらぎ新聞」「東西南北」などの案があった。

2009年(平成21年)の新聞通信調査会の調査では、全国紙5紙の中では最も保守的論調であるとされている(5点を中心に保守をプラス、革新をマイナスに0-10点でスケールを取ったとき、読売新聞5.6、産経新聞5.3、日本経済新聞5.2、毎日新聞5.0、朝日新聞4.4)。

歴史的に見れば、読売新聞の論調はその時々の時代背景に応じて変化し、一定ではない(ただし、この流れは全国紙で最も革新とされる朝日新聞も同様である)。
歴史讀賣新聞のホーロー看板 縦書き(1字改行、俗にいう右書き)にすると丁度「賣」2つで「言」を両脇から挟む形になる

1874年11月2日 合名会社「日就社」から「讀賣新聞」創刊。初代社長は岐阜県出身の子安峻[注釈 2]。創刊号は表裏2ページ[6]。創刊当時は1日おき発行の隔日刊紙で、漢字によみがなを振った画期的な庶民のための新聞だった。しかし、創刊号の発行部数は約200部で、実売は半分にも満たなかった[7]

1875年 日刊紙に移行。年末には発行部数が1万7000部を達成[7]

1891年5月15日 紙齢5,000号を達成[6]

1897年1月1日 尾崎紅葉作の小説金色夜叉』が連載開始。

1904年5月7日 本紙直接購読者を対象に、電報料読者負担で重大事件の速報を電報で伝える「電報通信」サービスを開始する(?1905年9月29日)[8]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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