誘導灯
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「誘導灯」はこの項目へ転送されています。空港設備については「飛行場灯火」を、交通整理や車両誘導などの誘導灯については「誘導棒」をご覧ください。

この項目では、建物の非常口について説明しています。ニンテンドーDS用ソフト「非常口 -EXIT DS -」については「EXIT (ゲーム)」をご覧ください。
非常口のピクトグラム(消防庁告示「誘導灯及び誘導標識の基準」)非常口のピクトグラムISO 7010)。下線が追加されている点が消防庁告示と異なる。非常口のピクトグラム(EUの指令 92/58/EEC)

非常口(ひじょうぐち、英語: emergency exit)とは、火災やその他非常事態が発生した場合に備えて設置された出口の事である。日本の消防法においては避難口(ひなんぐち)と呼ばれる。
概説

ビル地下街劇場ホテルなど不特定多数の人が集まる場所では、火災地震事故その他、なんらかの非常事態が発生した場合に、迅速かつ安全に退避する必要がある。そのために非常用出口と、それが非常用出口であることを示す標識、および各所に最寄の非常口へ誘導する案内看板(誘導標識)が設置されている。このうち、離れた位置あるいは煙の中でも視認しやすくするために半透明の表示板に電灯を内蔵して標識自体を発光させた設備を誘導灯という。

上記施設などのほか、構内・トンネル鉄道車両バス航空機などの乗り物にも設置されている。

非常口には、緊急時にのみ使用をすることを目的に作られた出口の他、恒常的に使用する出入口(正面玄関など)も指定される。緊急時のみに使用する非常口は、誤用を防ぐためや緊急通報と兼ねるため、火災報知設備を発報させなければ非常口が使えなかったり、開閉ハッチ自体が開けることで非常通報の代わりとなる機能を備えていることがある。

設置場所の特性上耐火性・耐熱性が求められる上、緑色が火災時に炎の中で最も目立つとされ、誘導灯には必ず緑色の使用が消防法により義務付けられている。

マークについて、日本では緑と白を基調としており、1人の人間が出口(非常口)へ走って入ろうしている様子となっている。
非常口・誘導標識
非常口・誘導標識の基準制定

1883年、イギリス・サンダーランドのビクトリアホールで180人以上の子供が死亡する群衆事故が発生した。この事故では、ショーの終わりに演者が特別席の子供達にプレゼントを配り始め、観覧席にいた子供達(推定1100人)が下に降りようと階段に詰めかけた。しかし、階段の突き当たりに設置されていた扉は内開きで施錠されていたため、子供達は階段の底で滞留して後から来た子供達の下敷きになった[1]。イギリス政府はこの事故を受け、非常口を外開きかつ内側から解錠できるようにするといった、建築安全の最低基準を強制する法的措置を執り始めた。しかし、この動きは世界的に広まることはなかった。

1911年にニューヨーク市で発生したトライアングル・シャツウェスト工場火災は、多くの労働者が建物を脱出できずに炎や煙の吸引、または転落、飛び降りにより死亡するという歴史的な火災事故となった。この工場には2つの非常口があったが、1つは労働者の無断休憩や材料の盗難を防ぐために施錠されていた。もう1つの非常口は炎の熱と避難する人々の重さに耐えきれず崩壊した[2]。また、これらの扉は内開きになっていた[3]アメリカ合衆国で伝統的な非常口誘導灯

この事故を受けてニューヨーク市は予防局を設立し、労働法や建築基準の立法・改正を行った。この中にはスプリンクラー設備、非常口や避難通路の安全基準、光る誘導標識(誘導灯)の要件が盛り込まれた[3]アメリカ合衆国の国家防火協会 (National Fire Protection Association; NFPA) は1913年から非常口や避難階段などの基準化について検討を始め、1921年に建築物非常口基準 (Buildings Exits Codes) を公表した[4]

日本では1932年に発生した白木屋大火をきっかけに、内務省建築規則にNFPAの基準を参考にしたとみられる安全基準が盛り込まれた。1960年代の高度経済成長期には磐光ホテル火災など増築されたホテルや旅館で火災事故が頻発し、1970年までに消防法建築基準法で安全基準に関わる法的整備が進められた[5]
ピクトグラムの制定とISO標準化日本でかつて一般的だった非常口誘導灯

日本において、ピクトグラムが施行される前日である1982年3月31日以前に落成した建物では、「非常口」・「非常出口」・「非常階段」(下に英語で「EXIT」と書いてある場合もある)の文字のみの表記であった。なおこの文字表示のみの誘導灯は遅くとも1970年代初頭にはあったとされるが、日本照明器具工業会において誘導灯の認定が開始される1975年2月までは、通常時は蛍光ランプが点灯し、停電時には豆球3個が20分間点灯する仕組みのものが、各地消防の独自認定で使われていたとされる[6]

1972年の千日デパート火災では、非常口誘導灯が梁付近の高い位置に取り付けられ、猛煙と停電による暗闇の影響で避難者には視認できなかった。さらには誘導灯には非常用電源(バッテリー)が備わっておらずに停電で消灯し、室内の装飾が誘導灯の視認の妨げとなる問題もあったことから滞在者の避難に支障を来した。また1973年の熊本の大洋デパート火災では、非常口誘導灯のサイズが小さかったために非常口の場所が火災による煙などで分からず、避難者で混乱した結果、多くの死傷者を出したため、消防法が改正されるとともに、日本照明器具工業会において誘導灯の認定が開始されることになった。とはいうものの、この時点において「非常口」などの字体や英語表記の有無が誘導灯の製造会社間で統一されることはなかった。

そこで誰にでもわかる標識を目指しデザインが1979年に公募され、およそ3300人の応募の中から図案評価実験等を経て小谷松敏文の作品が入選[7]太田幸夫による改良を経て1982年1月20日に消防庁告示、同年4月1日に施行された。


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