誉_(エンジン)
[Wikipedia|▼Menu]

この記事は検証可能参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。
出典検索?: "誉" エンジン ? ニュース ・ 書籍 ・ スカラー ・ CiNii ・ J-STAGE ・ NDL ・ dlib.jp ・ ジャパンサーチ ・ TWL(2021年8月)
交通博物館に展示されていた誉エンジン

誉(ほまれ、当時の表記は譽)は、中島飛行機日本海軍航空技術廠発動機部が開発した航空機用空冷レシプロエンジンである[1]第二次世界大戦後期の日本軍偵察機戦闘機爆撃機のエンジンとして採用された。

誉は海軍の制式名称で、略符号はNK9、試作名称は十五試ル号、陸軍制式名称は四式一八五〇馬力発動機、ハ番号はハ45およびハ145、陸海軍統合名称はハ45、中島の社内呼称はBA。

中島飛行機が量産した最後の航空用エンジンであった。
概要

1942年(昭和17年)9月に生産が始まり、銀河彩雲疾風紫電改など第二次世界大戦後期の陸海軍航空機にメーカーや機種を問わず幅広く搭載された。生産台数は型式ごとの生産数は記録が残っておらず詳細は不明だが、1943年(昭和18年)は約200基、1944年(昭和19年)は5,400基、1945年(昭和20年)は3,150基となっている。

開発当時の航空用レシプロエンジンとしては欧米の主流に近い離昇2,000馬力を発揮可能で、なおかつ同クラスのエンジンよりも小型かつ軽量であった。しかしそれと引き換えに高い生産技術が要求され、また戦況の悪化に伴う生産環境の悪化からこの要求を満たすことができなかった。さらに燃料や潤滑油の質の悪化に起因するエンジン不調、軍の整備に対する認識の甘さに起因する問題など様々な悪条件が重なり、所定の性能を安定して発揮することができなかった。

設計主任者は中島の中川良一技師。中川技師は、戦後プリンス自動車日産自動車の役員を歴任、プリンス・スカイライン2000GT-RR380383の発動機(S20型、GR8型、GRX-3型)の設計にも携わっている。
開発経緯

1930年代後半、中島はハ5系(出力約900?1,400馬力)、栄(ハ115)(出力約1,000馬力)、(出力約1,800馬力)といった空冷二重星型エンジンの開発を手がけていた。1939年(昭和14年)12月。これに加えて中川良一技師らを中心とする設計陣は、7シリンダー×2列の14シリンダーエンジンの栄をベースに用い、この前列と後列のシリンダーを2つずつ増やして計18シリンダーとし、1シリンダー当り100馬力以上を発揮させることで、サイズ・重量をそれほど大きくせずに2,000馬力級の次世代エンジンを開発する計画を立てた。

栄は1シリンダー当り70 hp程度を発揮するエンジンであった。これに対して目標とする1シリンダーあたり100馬力以上を発揮させるには、クランクシャフトの回転数を増やし、吸気系統(ブースト圧、吸気ポート形状等)を改善、さらに高オクタン価ガソリンオクタン価100のガソリン)を使用してノッキングデトネーションの帰結)を防止するなどの対策が必要であった。さらにシリンダーヘッドの冷却フィン、クランクシャフトとコンロッド軸受、クランクケース等にも性能を限界まで引き出すための設計を試みることとなった。

最終的に排気量35.8 L、初期目標出力1,800 hpという小型・小排気量かつ大馬力の設計案(社内名称BA-11)がまとめられ、海軍に提示された。これに対し海軍内部では賛否含めて大きな反響が起こり、結果、海軍航空技術廠(空技廠)と共同で官民一体の開発プロジェクトが立ち上げられることとなった。

開発開始の1940年(昭和15年)はアメリカとの緊張が高まっていた時期であり、誉開発の成否は将来想定される日米開戦の行く末に係わるものとして官民の精力的かつ速やかな作業が行われ、過密なスケジュールだったにもかかわらず、予定より半年早い1942年(昭和17年)9月には生産開始に至った。

1940年(昭和15年)

2月 - 新型発動機「NK9」中島社内におけるエンジンの基本構想完了、海軍への構想の提出

9月 - 設計完了、海軍から中島に対する正式試作命令


1941年(昭和16年)

2月 - 部品試作完了

3月 - エンジン組立完了

3月末 - 第一次運転(エンジンの初始動)及び性能運転完了

6月 - 公式第一次審査終了

6月末 - 第一次耐久運転終了(エンジンを300時間断続運転させてオーバーホールし、異常がなければ合格とする審査)

8月 - 公式第二次審査終了

11月 - 第一回DB機に搭載しての飛行実験開始


1942年(昭和17年)

9月18日制式採用 - 「誉」と命名、生産開始へ

12月 - 大量生産本格化。

従来はエンジン開発の開始から生産開始まで5年程度を要していたのに対して、初期構想提案から本格生産開始まで3年以下という期間は異例な速さと言えた。
設計・技術

誉の設計はベースとなった栄の設計を引き継ぎ、全体をコンパクトに纏めながらも、高出力化に伴って発生する諸問題を解決するために様々な新機軸を織り込んだ意欲的なものであった。

ボア(シリンダー内径)×ストローク(ピストンの移動量)をベースとなった栄と同一の130 mm×150 mmとしたことにより、エンジン直径は1,180 mmに収まった(栄よりは30 mm大きい)。一方、シリンダーの前列と後列の中心間距離は冷却を良くするために栄の150 mmに対して220 mmまで伸ばされた。

前列と後列のシリンダーは正面から見て20度の位相差をもち、前列シリンダーの隙間から後列シリンダーが覗くStaggerという一般的な2列空冷星型エンジンのレイアウトである。


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:67 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef