「詩形」はこの項目へ転送されています。タイ文学における詩形については「詩形 (タイ文学)」をご覧ください。
この項目では、広く詩(英: poetry, poem)について説明しています。かつて単に「詩」と称された中国の最古の詩篇については「詩経」をご覧ください。
中国・宋王朝の高宗(1107-1187)による七言絶句。絹張りの扇に草書体で記されている。 アルチュール・ランボー『座り込んだ奴等』の草稿昔の詩
詩(し、うた、英: poetry, poem; 仏: poesie, poeme; 独: Gedicht)は、言語の表面的な意味だけではなく美学的・喚起的な性質を用いて表現される文学の一形式である。多くの地域で非常に古い起源を持つ。多くは韻文で一定の形式とリズムを持つが、例外もある。一定の形式に凝縮して言葉を収め、また効果的に感動・叙情・ビジョンなどを表すための表現上の工夫(修辞技法)が多く見られる。詩は独立したものとして書かれる場合も、詩劇・聖歌・歌詞・散文詩などに見られるように他の芸術表現と結び付いた形で書かれる場合もある。
英語のpoetryやpoem、フランス語のpoesieやpoemeなどの語は、「作ること」を意味するギリシア語πο?ησι? (poiesis)に由来し、技術を以て作り出された言葉を意味した[1]。漢字の「詩」は思いや記憶を言葉にしたもので、特に西周のころの古代中国の歌謡を編纂した詩編を指した(のちに『詩経』と称される。漢詩も参照)[2]。日本では明治になるまでは「詩」といえば漢詩を指し、「歌」は日本古来の歌謡から発したものを指した。文学の一形式として「詩」の語を使うようになったのは、西洋文学の影響から作られた『新体詩抄』などを起源とする[3]。
印刷技術が普及した後は詩の多くは活字で提供され「読まれる」ようになった[注釈 1]が、詩は文字の発明以前から存在したとも言われ[4]、韻文を朗唱、あるいは節を付けて歌うことが普通であった。漢詩に節を付けて詠じるものは詩吟と言う。幕末以降の日本では一時期流行し、剣舞を伴う事もあった。現代では、詩を朗読することを特にポエトリー・リーディングと呼ぶことがある。作者本人による朗読会や、音楽の演奏とコラボレーションを行うなどの試みもある。 詩および詩を巡る議論には長い歴史がある。アリストテレスの『詩学』のような詩を定義する初期の試みでは、修辞・演劇・歌・喜劇などにおける話法の用い方に焦点を合わせていた[5]。後世の試みでは、反復、詩型、韻といった要素に重点が置かれ、詩を散文から区別する美学が強調された[6]。20世紀中葉以降では、詩はより緩やかに言語を用いた根源的な創造活動として定義されることもある[7]。 詩では特有の形式や決まり事を用いることで言葉に別の意味を持たせたり感情的・官能的な反応を引き起こしたりすることが多い。類韻、頭韻、オノマトペ、韻律といった道具が音楽的もしくは呪術的な効果を生み出すために用いられる場合もある。両義性、象徴、イロニーやその他の詩語
概説
同様に、隠喩・直喩・換喩は[8]それがなければ全く別々であったイメージを共鳴させ、意味を重層化させ、それまで知覚されなかった繋がりを形成する。同種の共鳴は韻律や脚韻のパターンによって個々の詩行の間にも存在し得る。
詩の諸形式の中には詩人が書く言語の特徴に呼応した特定の文化やジャンルに固有のものもある。ダンテ、ゲーテ、ミツキェヴィチ、ルーミーのような詩人で詩をイメージすることに慣れた読者は、詩を韻を踏んだ詩行と規則的な韻律で書かれたものと考えるかもしれないが[注釈 2]、聖書の詩のようにリズムと音調を得るために別のアプローチを取る伝統もある。現代の詩の多くは詩の伝統に対してある程度は批評的であり[9]、音調の原則そのもの(やその他のもの)と戯れ、試し、場合によっては敢えて韻を踏まなかったり韻律を定めなかったりもする[10] [11][注釈 3]。今日のグローバル化した世界では、詩人たちはしばしば様式、技法、形式などをさまざまな文化や言語から借用している。
詩の美や力や効果は様式や技法や形式だけによるものではない。偉大な詩は、まさにその言葉によって聴衆や読者に思考と力強い感情を喚び起こすことで他から抜きん出る。