診療放射線技師
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「診療放射線技師」の前身である「診療エックス線技師」については「診療エックス線技師」をご覧ください。
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出典検索?: "診療放射線技師" ? ニュース ・ 書籍 ・ スカラー ・ CiNii ・ J-STAGE ・ NDL ・ dlib.jp ・ ジャパンサーチ ・ TWL(2011年3月)

この記事は特に記述がない限り、日本国内の法令について解説しています。また最新の法令改正を反映していない場合があります。ご自身が現実に遭遇した事件については法律関連の専門家にご相談ください。免責事項もお読みください。

診療放射線技師
英名 Radiological technologist
実施国 日本
資格種類国家資格
分野医療
試験形式五肢択一式
認定団体厚生労働省
認定開始年月日1968年昭和43年)9月20日
等級・称号診療放射線技師
根拠法令診療放射線技師法
ウィキプロジェクト 資格
ウィキポータル 資格
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診療放射線技師(Radiographer)

診療放射線技師(しんりょうほうしゃせんぎし、英語: Radiological technologist, Radiologic technologist, Radiographer)は、病院診療所などの医療機関において、医師の指示のもとで主に放射線を用いた検査及び治療業務、これらの業務に必要な機器やシステムの管理などを行う、国家資格を有する高度医療職、技術者の名称である。

診療放射線技師法(昭和二十六年六月十一日法律第二百二十六号)には、"「診療放射線技師」とは、厚生労働大臣の免許を受けて、医師又は歯科医師の指示の下に、放射線を人体に対して照射(撮影を含み、照射機器又は放射性同位元素(その化合物及び放射性同位元素又はその化合物の含有物を含む。)を人体内にそう入して行なうものを除く。以下同じ。)することを業とする者をいう。"と定義される。「…技師」(英:Technologist)という名称にもあるように、臨床検査技師臨床工学技士などと同様にして医療従事者の中でも技術職・技能職の面が強い職種であり、一般的に「医療技術職」の一種とされる(戦前の日本では「(レントゲン)技術者」とも呼ばれていた)。
歴史

医療における放射線の利用は、元々医師によって行われていたが、放射線診療技術の高度化に伴い、高いレベルでの専門知識や技術を身につけた専門職として診療放射線技師の職域が形成されていった。一般に、診療放射線技師以外の医療職も、従来の医師の分野から派生した職域が多く存在する。英国初の診療放射線技師であるErnest H. Harnack(1890年代撮影、ロイヤル・ロンドン病院にて)。1896年にロイヤル・ロンドン病院に入職したが、当時まだ解明されていなかった度重なる被ばくによって両手を失い、1909年に引退した。診療放射線技師のパイオニアの一人であるElizabeth Fleischman(1899年撮影)。1896年にサンフランシスコにX線研究所を設立し、そこで地元の医師に代わって患者を診察、その撮影技術から当時"最も優れたX線写真を撮影する女性"と謳われた。また彼女は被ばくによって死亡した初めての女性でもあった。

診療放射線技師はコメディカルの中でも比較的古い職種であり、その誕生は1895年にW. C. レントゲンX線を発見したことに始まる。X線の存在が知られると、医師たちはその6ヶ月以内に早くもその性質を利用して病気の診断を行いはじめた。しかし、医師がX線装置を最も効果的に使用するには、フィルム現像や機器のメンテナンスといった時間のかかる作業を他の誰かに処理してもらわなければならないということに気付くのに、それほど時間はかからなかった。1890年代後半には、診療放射線技師の前身となるX線診断装置の照射やメンテナンスを生業とする専門家・技術者が誕生している。また初期の技師は放射線防護に対して無関心な環境でその仕事を請け負っていたために、放射線業務に従事するその他多くの医師、看護師、研究者などと同様に、知らず知らずのうちに重い身体的負担を受けていた。X線が発見されてから20年近く経って、やっと鉛エプロンフィルムバッジなどの予防措置が取られるようになった。第一次世界大戦中の技師の服装(1918年、フランス

第一次世界大戦中、X線を用いた診断治療は盛んに行われた。中でもドイツ/英国貴族グレイヒャン卿の令嬢Helena Gleichenによる、負傷兵に埋め込まれた弾丸を正確かつ迅速に描出した放射線技師としての活躍は、忘れ去られた英雄としてその逸話が残されている[1]。大戦後、X線に携わる技術者たちは激増し、彼らを取りまとめる教育・組織体系が必然的に求められていった。しかし当時は未だ撮影技術に対する明確な教本などはなく、技師たちは自身の技術を他者に説明する術は持ち合わせていなかった。そんな中、医師の父を持ち医療機器メーカーを立ち上げていたEddy C. Jermanと呼ばれる一人の技術者が、放射線技師の教育、組織、正当性を訴え、1920年10月にJermanと13人のX線技師(その半分は女性であった)によってアメリカで初の放射線技師のための協会「米国放射線技師協会(American Association of Radiological Technicians)」(現・「American Society of Radiologic Technologists(ASRT)」)が設立された。また同年には、イギリスにおいて放射線技師6人と電気技師6人によって「英国放射線技師協会(Society of Radiographers(SoR))」が設立されるなど、着実に診療放射線技師の職業的地位の向上が図られていった。1925年にはICRUが設立され、また1928年にはX線撮影技術学における初の教本である「Modern X-ray Technic」がJermanによって執筆された。「島津レントゲン技術講習所」第一回入学式の様子(1927年9月撮影)RAMCにおける放射線技師養成クラスの集合写真(撮影時期不明、ロンドン

日本では、1912年に医学者の藤浪剛一ウィーン大学からX線撮影技術を持ち帰り、順天堂医院に日本初のレントゲン科が設立された。その後、順天堂医院で藤浪に師事した医学者の瀬木嘉一が、1923年に放射線技師(当時はレントゲン技術者[2])の有志を集めて「蛍光会」を発足、1925年には会員増加のために順天堂から独立・改組され「日本レントゲン協会」となり、後の「日本放射線技術学会(1942年設立)」「日本放射線技師会(1947年設立)」に繋がることになる[3](また後の国家資格制定にも大きく貢献することになった)。因みに1925年当時、日本全国には既に1500人程度のレントゲン技術者がいたという[2]。1927年には日本初のX線技師養成学校「島津レントゲン技術講習所」が京都木屋町二条に設立される。その噂は海外にまで伝わり、第一回受験者は数百人にも上った。入学者は21人となったが、その全員が男性であった。当初の教育期間は6か月であり、X線装置の原理とその撮影法、電気理論のほか、解剖生理学電気事業法令なども教授された。また実習では、当時、その性能の高さから「レントゲンの島津」と呼ばれる所以となっていたダイアナ号とジュノー号を使うなど、最新の技術が学べる環境を整えた。さらには京都大学教授による修養講座も設けられ、一般教養も学ばれた[4]

以後、診療放射線技術の高度化により教育期間が延長され、教科目も拡大していった。日本においては、1951年に診療X線技師法が成立したことで「診療エックス線技師」として国家資格が与えられ、その翌年から学生への2年制教育が開始される。それ以前は学生が診療放射線技術を学べる機会は少なく、電気工学科などを卒業した20代以上の社会人に現場や養成校で教授されるのが常であった。彼らの有していた基礎知識は、「医用電気工学」など医療に特化した科目となって、教育カリキュラムに取り入れられた。1968年には新たに診療放射線技師法が制定され「診療放射線技師」が誕生、業務は診療X線技師と分担化され、教育期間は2年制と並行して3年制教育も行われるようになった[5]


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