記者会見オープン化
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内閣総理大臣鳩山由紀夫の記者会見の様子(2010年5月28日)

記者会見オープン化(きしゃかいけんオープンか)とは、鳩山由紀夫内閣大臣会見を開放し、すべての記者が平等に参加し、質問できるようにする動きである。記者会見開放、閣僚記者会見開放と呼ぶ場合もある。
概説

公的機関記者会見で、既存の「記者クラブ」(全国紙キーテレビ局通信社)に属さない記者の取材が制限される状況は以前から問題視されていた。記者会見を開放することが民主党の公約とみなされた。

政権交代後、オープン化は期待ほど急激には実現しなかったが、外務省を皮切りに徐々に進んだ。2010年(平成22年)4月現在、記者会見のオープン化は外務省金融庁法務省総務省内閣府の一部(行政刷新会議)、環境省首相官邸の7府省で行われている。総務省は、この他に7府省がオープン化されているとしている。

ただし、オープン化の方法や程度は様々で統一されたものではない。オープン化(狭義)とフルオープン化がせめぎ合っている。一部の記者から激しい抵抗[1][2]がある。特に読売新聞は上層部の指示で反対しているという意見がある[3]。オープン化に応じた記者クラブでも偏向報道や表に出てこない細かい規則、ぶら下がり記者懇談会など閉鎖的な場での取材により既得権益を守ろうとしている。また新規参入する記者の間でもフルオープン化かオープン化かの意見は分かれている。日本インターネット報道協会のような記者クラブを結成して記者会見への参入を図る者と、記者クラブに属さずフルオープン化を求める者がいる。
分類

記者会見オープン化にはオープン化(狭義)とフルオープン化がある。狭義のオープン化とは、記者クラブの枠組みは存続したまま、元々ある記者クラブ以外の記者クラブや記者にも大臣会見を開放する事である。フルオープン化とは記者クラブの枠組みを撤廃して、大臣会見を記者クラブ制度から解放する事である。

記者クラブの枠組みとして、最初に問題となったのは会見の主催権や参加者の審査権である。従来の記者会見において、主催権や審査権は元々ある記者クラブが持っている。審査は密室で行われ、記者クラブ以外の記者は、はっきりしない理由で参加を拒絶された。また会見に参加しても、自由に質問できなかった。

フルオープン化を目指す方法として、会見の主催権や審査権を大臣が持つ方法がある。参加できる記者クラブを増やし、ネットメディアやフリーランス記者なども会見に参加し、自由に質問できるようにする。大臣主催の記者会見は理想的である。しかし、それだけに記者クラブの反対も大きい。今のところ、もともと会見の主催権や審査権を持っていた外務省以外では実現していない。

第二会見方式もある。元々ある記者クラブの記者会見とは別に大臣主催の記者会見を開くことで、記者クラブ制度とは無関係に、自由な記者会見を実現する。金融庁、行政刷新会議(内閣府)、環境省で行われている。

記者クラブ主催のオープン化は、首相官邸や総務省、法務省などで行われている。会見をコントロールしているのは従来通り元々ある記者クラブだが、ネットメディアやフリーランス記者が参加し質問出来るようになった。審査に関しても、首相官邸や総務省のように参加資格を明示する場合がある。しかし動画撮影禁止や記者の氏名非公開など細かい規則を押し付けてくる場合もある。
歴史
前史

日本では公的機関の記者会見が、全国紙や一部の業界紙、キーテレビ局や通信社などのごく一部のマスメディアで組織される「記者クラブ」によって主催されている。雑誌記者やフリーランスなどの「記者クラブ」に所属しない記者は質問すらできず取材を制限されている。特に、新興のネットメディアと組織に属さないフリーランスの記者は深刻である。

1996年、鎌倉市・竹内謙市長は記者クラブに属さない報道機関にも記者室と会見を開放。2001年には、長野県・田中康夫知事が「脱・記者クラブ宣言」を行い、記者クラブが利用していた県庁の記者室を廃止し、誰でも利用出来るプレスセンターを設置、知事会見を記者クラブではなく県主催で行うなど、一部の地方公共団体では会見をオープン化し、記者クラブ以外にも市政・県政報道の門戸を開く動きがあった。

2002年1月17日、日本新聞協会編集委員会は、「インターネットの普及によるメディアの多様化や情報公開法の施行などで、報道を取り巻く環境は大きく変化している」として記者クラブの枠組みを残した狭義のオープン化を実現したいとの見解[4]を表明した。

民主党は以前から記者会見を開放しており、民主党への政権交代を期に公的機関の記者会見をオープン化し、平等な取材の機会を与えるべきとの意見が広がった。2009年(平成21年)3月、フリージャーナリストの上杉隆小沢一郎代表から記者クラブ開放の言質を取った[5]と喧伝した。

2009年9月16日、鳩山由紀夫内閣が成立した。しかし、首相就任会見では外国特派員記者など一部の記者が新たに会見に参加したが、ネットメディアは事実上締め出され、会見でも質問したのは大手メディアがほとんどであった[6]。これを公約破りだとして上杉隆、神保哲生など記者クラブの閉鎖性を追及しているジャーナリストから非難の声が上がり[7]、9月17日には衆議院議員の逢坂誠二twitter炎上した[8]

一方、共同通信社は雑誌記者が会見に参加したことを受け、オープン化が実施されたかのような報道を行ったが[9]、ジャーナリストの藤代裕之はこの共同通信の記事を引用し、「誤報といってもいい」と非難した[10]

また、この「締め出し」は記者クラブだけではなく、既存メディアや平野博文官房長官の意向を汲んでいるとの指摘もある[11]
外務省

最初に記者会見をオープン化したのは外務省だった。

2009年9月18日、外務大臣岡田克也が大臣会見をすべてのメディアに開放すると表明した[12][13]

実際にはすべてのメディアに開放された訳ではなく、外務省の指定するメディア(記者クラブ)が増加した。外務省記者会(霞クラブ)の他に日本新聞協会日本民間放送連盟日本雑誌協会日本インターネット報道協会日本外国特派員協会および外国人記者登録証保持者、「上記メディアが発行する媒体に定期的に記事等を提供する者(いわゆるフリーランス)」の参加が認められた。

霞クラブは「大臣会見等に関する基本的な方針についての要望」、「記者会見等に関する見解」で返答した[14]。オープン化に対しては検討中とし、会見時間の変更に対してのみ反発した[15]

2009年12月4日、岡田はアクセス・パスの発行を表明した[16]。記者会見の他に、外国出張時の同行取材が可能になった。有効期間は1年である[17]

2010年1月8日、岡田は参加資格の拡大を表明した[18]。外務省の指定するメディアが増加し、日本専門新聞協会と地方新聞協会が認められた。また、外務省が指定するメディアに属していなくても、「発行する媒体の目的、内容、業績などに照らし、それらのいずれかに準じると認め得る者」も参加できることになった[19]

2010年2月19日、岡田は外務省記者会(霞クラブ)に対して、閣議後のぶら下がり取材の廃止を伝えた[20]

岡田は閣議の内容は話せないという規則や、官邸や国会では参加者が限られること。オープンな記者会見を1時間ずつ週2回行っている事などを説明した[21]。外務省記者会(霞クラブ)と激しい交渉が行われた[22]。読売新聞や産経新聞などは、岡田の意図や経緯を説明せずに、取材拒否とだけ報じた[23]
金融庁

2009年9月29日、金融担当大臣亀井静香が記者クラブに対して「全部オープンにいかないとだめだよ」と呼びかけた[24][25]


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