計算機の歴史_(1960年代以降)
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アポロ誘導コンピュータとDSKY(1966年

1960年以降の計算機の歴史(けいさんきのれきし)は、真空管からソリッドステートデバイスすなわちトランジスタさらに後には集積回路への転換から始まる。1959年ごろまでにトランジスタの信頼性と経済性は十分に向上し、真空管では敵わないレベルにまで達しようとしていた。コンピュータの主記憶は徐々に磁気コアメモリからソリッドステートの半導体メモリに取って代わられていき、コンピュータのコストと大きさと電力消費量は劇的に低減していった。そして、集積回路のコストが十分に低くなると、ホビーパソコンパーソナルコンピュータが普及するようになった。
第三世代

コンピュータの「第三世代」において、コンピュータは急激に普及しはじめた。それらはジャック・キルビーロバート・ノイスがそれぞれ独自に発明した集積回路を使ったもので、1965年ごろから登場しはじめた。

最初の集積回路は1958年9月に製造されたが、コンピュータに使われるのは1963年以降のことである。初期の使用例として組み込みシステムがあり、NASAアポロ誘導コンピュータに採用した例、軍がLGM-30ミニットマン大陸間弾道ミサイルに採用した例、アメリカ海軍F-14トムキャットジェット戦闘機の可変翼制御などを行う Central Air Data Computerに採用した例がある。

1964年4月、IBMSystem/360を発表した。あらゆる用途向けで上位モデルから下位モデルまで、アーキテクチャを統一したシリーズ、という構成が画期的なものであったことから、しばしば第三世代のコンピュータとされるが、使用された回路技術はIBMが"Solid Logic Technology"(SLT)と呼ぶハイブリッド的なものであり、チップ上に回路が作り込まれたいわゆる集積回路ではなかった。また、主記憶にはコアを使用していた。主記憶に半導体メモリを使用したのは次のSystem/370からである。

1971年、数年間世界最高速のコンピュータとなったスーパーコンピュータ ILLIAC IV が完成。約25万個の小規模なECL集積回路を使い、最大64個のPE (processing element) を構成している[1]データゼネラルNova (1969)

System/360を代表とする大型メインフレーム記憶装置容量と計算性能を向上させていく一方、集積回路を使ったより小型のコンピュータも開発できるようになっていった。1960年代から1970年代にかけての最大の技術革新の1つがミニコンピュータである。それによってより多くの人々がコンピュータを使えるようになったが、それは単にコンピュータが物理的に小さくなったからだけではなく、コンピュータ供給業者が増えたことも関係している。ディジタル・イクイップメント・コーポレーション (DEC) はIBMに次ぐコンピュータ企業となり、PDPおよびVAXシステムは人気を呼んだ。より小さく安価なハードウェアが登場したことで、UNIXのような新たなオペレーティングシステムが開発された点も重要である。

1969年、データゼネラルは1台8000ドルのミニコンピュータを5万台出荷した。データゼネラルのNovaは初期の16ビットミニコンピュータの1つで、ワード長が8ビットを1バイトとしたバイトの整数倍になる方向性の発端のひとつとなった。Novaではフェアチャイルドセミコンダクター製の初期の中規模集積回路 (MSI) が使われており、後継モデルでは大規模集積回路 (LSI) が使われた。また、CPUが15インチのプリント基板1枚に収まったことも重要である。
コンピュータ利用形態の変化中央コンピュータに接続されたTSS端末。PC普及前に使われていた。

1970年代にマイクロプロセッサが登場する以前、コンピュータは一般に大きく高価なシステムであり、企業・大学・政府機関などの大きな組織が所有する設備だった。ユーザーは経験を積んだ専門家であり、一般にコンピュータそのものに触れることはなく、キーパンチなどのオフラインの装置でタスクを準備した。そのようなタスクを集め、バッチモードで処理した。ジョブが完了すると、ユーザーは出力であるプリントアウトとパンチカードを渡される。計算センターにジョブを依頼してから出力結果が得られるまで、組織にもよるが、数時間から数日かかった。

より対話的なコンピュータ利用が商業的に行われるようになったのは、1960年代中ごろである。タイムシェアリングシステム (TSS) は、複数の端末を通して、多くの人々がメインフレームを共有し、同時に利用する形態である。このような形態はビジネスでも、科学技術計算でも採用された。

もう1つの新たなコンピュータ利用は、初期の実験的なコンピュータで1人のユーザーがプロセッサを占有して利用していた形態への回帰でもある[2]。「パーソナル(個人的)」と呼べる最初のコンピュータは初期のミニコンピュータであり、LINCPDP-8が挙げられる。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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