解深密経
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『解深密経』[1](げじんみっきょう、: Sa?dhinirmocana S?tra, サンディニルモーチャナ・スートラ)は、中期大乗仏教経典の1つである。「サンディ」(sa?dhi) が「結合・連結」(深密)、「ニルモーチャナ」(nirmocana)が「解放」(「解脱」)、「スートラ」(s?tra) が「経」、総じて「解放(解脱)へとつながる経」の意。

唯識派(ゆいしきは)もしくは、中国)・日本法相宗の所依の経典の一つで、唯識思想を展開させたといわれる経典である。また、序品を除いて、ほとんどが『瑜伽師地論』(『瑜伽論』とも。)第75-78巻に引用され、さらに『摂大乗論』『成唯識論』などに引用されて、後世への影響が大きい。この『瑜伽師地論』は『解深密経』とともに法相宗の開祖 慈恩大師が教理的根拠を索めた六経十一論[2]が帰着する一経一論とされる[3]

また、華嚴、般若の教系に立ち実相論と縁起論との交渉を試みた大乗経典として、一時代を画すべき経典とされる[4]
成立年代

解深密経の成立は、龍樹以後間もない頃、遅くとも西暦4世紀頃までには成立していたと推定されており、中期大乗経典に分類されている。
書誌

漢訳では、北魏菩提流支が訳した『深密解脱経』五巻(513年)と、玄奘訳『解深密経』五巻(646年、諸説あり[5])、部分訳としては、求那跋陀羅の『相続解脱経』二巻[6]と、真諦訳の『仏説解節経』一巻[7]とがあり、大正新脩大蔵経の16巻に収められている。

部分訳または単独経典の様相で、『解深密経』を時代と思想の異なる複数の素材で編纂された経典であるとする説が主流であったが、求那跋陀羅訳の二巻に関する精査によって、それらは『解深密経』の編纂の素材ではないことが明らかになっている。[8]

他の多くの漢訳の経典と同じく、サンスクリット本は現存しない[9]。チベット語は訳者不明であるが、全訳『dgongs pa nges par 'grel』が残存し、北京版29巻(チベット大蔵経)に収められており、フランスのLamotteによってフランス語訳され、出版されている。そのためこの経の全体像は漢訳2本とチベット語訳によるしかない。

日本語訳は、国訳大蔵経[10]と、国訳一切経[11]に収められている。
概要

玄奘訳『解深密経』は、五巻八品で構成されている。

序品第一  仏が十八円満の他受用の報土において、二十一種功徳成就の受用身を現じ、無量の大
声聞衆と大菩薩衆等が他方仏土から集参し、説法の開始を待つ情景を述べる。

勝義諦相品第二  勝義諦真如は、名言の相を離れ、有無の二相を離れ、尋思の所行を超え、諸法の一異相を離れ、一切に遍じ一味の相であると説く[12]

心意識相品第三  阿陀那識、阿頼耶識、一切種子心識、心を説き、それと六識の転変を明らかにする。後の唯識論書にある末那識は未だ説かれていない[13]

一切法相品第四  遍計所執相、依他起相、円成実相の三相を説く[14]

無自性相品第五  相無自性、生無自性、勝義無自性の三種の無自性性を説き、有[15]・空[16]・中[17]の三時教判を説く。

分別瑜伽品第六  「唯識」という語が2か所あり初出とされる[18][19]止観行を詳説して、識の所縁は唯識の所現であると説く。

地波羅蜜多品第七  十地および十波羅蜜多行を説く。

如来成所作事品第八  如来法身の相および化身の作業を説く。

注釈書

『解深密経』は、唐代に新羅出身の学僧にも広く研究され、令因撰『解深密経疏』十一巻、円測撰『解深密経疏』十巻、玄範撰『解深密経疏』十巻、元暁撰『解深密経疏』三巻、?興撰『解深密経疏』(失巻)があったが、現存して用いられているのは、円測の疏だけである。ただ、この円測の疏は第八巻の冒頭及び第十巻を欠いているが、チベット訳が発見されており、それによって全体を把握できる。また新羅出身の遁倫撰『瑜伽論記』第20上-第21上が『瑜伽師地論』第75-78巻に引用された『解深密経』の釈論である[20]。チベットの注釈書に関しては、芳村修基によれば五種あったとされるが、現在は無著の疏、智蔵の疏、覚通の疏の三種が北京版に残っている。
関連項目

瑜伽行唯識学派

瑜伽師地論

経集部 (大正蔵)
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注・出典^ 『解深密経』は玄奘訳の呼称。漠然とこの経を指すときはこれが用いられる。
^大方広仏華厳経』『解深密経』『如来出現功徳荘厳経』『阿毘達磨経』『楞伽経』『厚厳経』の六経と、『瑜伽師地論』『顕揚聖教論』『大乗荘厳経論』『集量論』『摂大乗論』『十地経論』『分別瑜伽論』『観所縁縁論』『唯識二十論』『弁中辺論』『大乗阿毘達磨集論』の十一論
^ 藤井龍心『解深密經に就いての一考察』智山学報 1935 年 1935巻 7-8号 p.91-112 pdf p.91
^ 藤井龍心『解深密經に就いての一考察』p.101 に「此の如く本經は般若經及び華殿經の教系を汲んでゐることが明かである。蓋し佛教々理史上に於て縁起説と實相論とを問はずその思想的立場は何れも唯心的たること明かにして、本經の如きは正に華嚴、般若の教系に立ち實相論と縁起論との交渉を試みんとしたる大乘經典として、經典史上一時代を劃すべき經典にして、龍樹以後彌勒、無著に至る問に成れるものと思はれるのである。」
^ 645年から訳経を開始し、646年に新訳経論5部と『大唐西域記』12巻の経序を太宗に請うたとされる。:吉村誠『玄奘の年次問題について』駒澤大学佛教学部論集 46 183-205, 2015-10 ⇒pdf p.203、佐伯定胤は『解深密經解題』十頁に『瑜伽師地論』の訳了年の648年説が「蓋し説の穏雅なるを覺ゆ」と述べている。
^ 『相続解脱地波羅蜜了義経』及び『相続解脱如来所作随順処了義経』の各一巻。玄奘訳『地波羅蜜多品第七』『如来成所作事品第八』の異訳。
^ 玄奘訳『勝義諦相品第二』の異訳。
^ 高橋晃一(東京大学 大学院人文社会系研究科 准教授)「『解深密経』の結文に関する考察:大乗経典編纂の痕跡という観点から」インド哲学仏教学研究 21, 2014.3 pdf p.65
^ 岡部和雄 (仏教学者)『仏典漢訳をめぐる翻訳論:僧祐・劉?の師弟関係にも着目して』佛教経済研究 42, 2013-05,13-38 ⇒pdf三三 ? 三六頁
^ 佐伯定胤 『國譯解深密經』1917年 國譯大藏經 經部10巻 解題・原文 国民文庫刊行会、原文は弘教藏より収録、1974年第一書房から復刻 ISBN 978-4-8042-0251-8
^ 深浦正文・二宮守人 譯 松本照敬 校訂(1933年 國譯一切經 印度撰述部 經集部3 大東出版社、改訂版 1973年) ISBN 4500000631
^ チベット語訳では4章からなり、共に勝義諦の世俗諦に対する特質を説いているが、玄奘は一品にまとめている。
^ 大崎昭子『解深密経における心意識説につい て』印度學佛教學研究1975年 24巻 1号 p. 200-203 pdf p.200
^ 長尾雅人は、三相は三性と呼ばれることも多いとする。袴谷憲昭は、自性を用いても、三相や三自性を意味する場合には、特質(相)と同じ意味とする。竹村牧男は、三性の語を常用して、その中に三相として説かれたものも含める。しかし小澤憲雄はこれらの説と異なり、三性説の研究において相と自性を同義として扱うことが多く見受けられるが、遍計所執・依他起・円成実のそれぞれがテキストにより様々に定義されていることを考えると、相と自性を切り離して考察することで、それらを解明する何らかの結論がみえると述べている。:木村誠司『唯識文献における三性と三相について』駒澤短期大學佛教論集 11 342[1]-217[126], 2005-10 ⇒pdf p.342-340


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