解放運動無名戦士墓
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解放運動無名戦士墓、2014年2月1日

解放運動無名戦士墓(かいほううんどうむめいせんしのはか)は、日本社会運動や革命運動に関わるも志半ばで死去した人々を合葬する共同墓所である。東京都港区青山霊園内にあり、日本国民救援会が管理している。
沿革・概要

1920年代後半にベストセラーとなったルポルタージュ女工哀史』の著者細井和喜蔵の死後、友人の藤森成吉山崎今朝弥らが「細井和喜蔵遺志会」をつくった。遺志会は、墓地のない細井や解放運動犠牲者たちの遺骨を葬るため、預かっていた細井の印税で青山墓地に権利を買った。藤森が墓石に「無名戦士墓」の5文字を揮毫して、1935年3月28日、弾圧を避けるべくひそかに建碑式を行った。その後、墓石周囲には有刺鉄線がはりめぐらされ、近づく者は厳しく監視されるようになった、といわれる[1]

戦後1948年、碑は遺志会から労農救援会(現在の日本国民救援会)に移管され、碑銘に「解放運動」の4文字が加えられた。同年3月18日には第1回解放運動犠牲者合葬追悼会が開かれ、墓前での合葬祭も行われた。

以来、パリ・コミューン記念日にあたる毎年3月18日、日本国民救援会によって、新たな解放運動物故者を加えた追悼式が行われている[2][3] [4]2016年3月18日の第69回解放運動無名戦士合葬追悼会では、1112人が新たに合葬され、合葬者総数は44021人となった[5]

日本人ばかりでなく、在日韓国・朝鮮人も合葬されている[6]
著名な合葬者

氏名略歴享年没年合葬年備考
細井和喜蔵1897年生、作家 28 1925 1935
ジャック白井1900年頃生、スペイン人民戦線義勇兵 37? 1937 [7]
大森詮夫1902年生、弁護士 41 1943 
葉山嘉樹1894年生、作家 51 1945 分骨
譲原昌子1911年生、小説家371949[8]
徳田球一1894年生、衆議院議員・弁護士・日本共産党書記長 59 1953 八柱霊園内徳田家の墓、多磨霊園とに分骨
山崎今朝弥1877年生、弁護士、社会主義者 76 1954 分骨
犬田卯1891年生、小説家、農民運動家 65 1957 1958分骨[9]
朝日茂1913年生、社会運動家、朝日訴訟原告 50 1964 郷里岡山県津山市本行寺墓地とに分骨[10]
松本治一郎1887年生、部落解放同盟初代執行委員長、衆議院議員、参議院議員 79 1966 1967[11]
河崎なつ1889年生、教師、女性運動家、参議院議員 77 1966 1967
深沢義守1905年生、農民運動家、山梨社会党書記長、日本共産党衆議院議員 61 1966 1969[12]
貴司山治1899年生、小説家・劇作家 73 1973 分骨
藤森成吉1892年生、小説家・劇作家 84 1977分骨
砂間一良1903年生、衆議院議員・日本共産党幹部会員・ジャーナリスト 89 1992 1993[13]
鈴木安蔵1904年生、憲法学者、憲法改悪阻止各界連絡会議(憲法会議)初代代表委員 79 1983 1984
櫛田ふき1899年生、女性運動家、日本婦人団体連合会会長、国際民主婦人連盟副会長101 2001 2002[14]


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