解任決議
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解任決議(かいにんけつぎ)とは、役職を解任させるための決議。
日本の国会
概説

議会が自ら選任した役員を解任するには国会法など議会法上に特に定めがある場合を除いて許されない[1]。日本の国会においては、現在、各議院の役員のうち常任委員長に対するもののみが定められている(国会法第30条の2)[2]

常任委員長解任規定は1947年に制定された当初の国会法では制定されていなかった。しかし、同年に三党連立政権下において臨時石炭鉱業管理法案採決において与党の一つである民主党が分裂し、当時図書館運営委員長の中村嘉寿が反対票を投じて民主党から離脱した際に、与党側から「もはや与党ではない」として委員長を辞任するよう働きかけたが、中村は応じなかった。そのことから、第2回国会での国会法が改正されて、常任委員長解任規定が規定された。
常任委員長の解任決議

常任委員長については、国会法第30条の2に解任規定があり本会議で解任決議案が可決されれば直ちに解任される。

解任決議は野党議員が与党委員長による強行採決などの議事運営に反発する意味で提出されることが殆どである。議事妨害牛歩戦術牛タン戦術)の口実に提出されることもある。

常任委員長のポストは与野党の議席に応じて与野党の話し合いで分けられているが、一般には野党が与党委員長を解任しようとしても過半数の賛成が得られず可決できない。しかし、いわゆるねじれ国会において参議院で多数を占める野党側から与党委員長の解任決議が提出され可決された例はあり、これが史上初の可決例となった。一方、ねじれ国会において参議院では少数派となっている与党側から野党委員長の解任決議を提出した例もあるが、過半数の賛成を得られず否決されている。

過去において野党議員が委員長となっている委員会(逆転委員会)で野党委員長の議事を与党が否定する際には、議長権限で本会議で中間報告をさせた後で委員会審査省略の手続きを取り、本会議に審議を移して採決に持ち込む手法[3]、また委員会で法的拘束力が無い委員長不信任決議を可決した上で与党理事が委員長の職務を代行する手法を用いていた。しかし、衆参ともに安定多数を回復した第2次安倍内閣において、初めて本会議で与党による野党委員長の解任が可決された。会期末まで2日に迫った段階で、法案成立を確実な物にするため、成立に必要な委員会を与党で占めるために解任決議を可決させたものである[4]。また、解任によって委員長の党派が変わったのはこの時が史上初である。

政局で議院多数派委員長が議院多数派執行部と対立した場合があっても、党内融和のため委員長が自発的に辞任したり、議院多数派執行部が党議拘束をしてまで解任決議を行うことがないため、議院多数派執行部によって解任決議が提出されて採決されたことはない。同様に、野党が強硬に反対する議案の審議を進める際、野党の面子を立てるために、当該議案の強行採決や単独審議を行った与党委員長を交代させる場合でも、解任決議を経ずに委員長が自主的に辞任する形となっている。

なお、この解任決議は本会議において「その院の決議をもって」行われることとされており(国会法第30条の2)、その者が委員長を務めている当該委員会の不信任決議においてこの規定を援用して解任することはできない[5](委員会では法的拘束力のない不信任決議をなしうるにとどまる)。

常任委員長の解任決議案の例本会議採決日議院対象者役職採決可否票差備考
 
1950年(昭和25年)12月6日衆議院こさか せんたろう/小坂善太郎予算委員長否決001少数999多数999不明起立採決。
1953年(昭和28年)3月13日衆議院たなか いさし/田中伊三次労働委員長否決181216035
1953年(昭和28年)7月31日参議院あおき かすお/青木一男予算委員長否決066137071
1956年(昭和31年)6月2日参議院かかやま ゆきお/加賀山之雄文教委員長否決054131077
1959年(昭和34年)11月27日衆議院おさわ さえき/小沢佐重喜外務委員長否決001少数999多数999不明起立採決。
1961年(昭和36年)6月5日参議院ふしの しけお/藤野繁雄農林水産委員長否決063121058
1962年(昭和37年)04月5日衆議院もりした くにお/森下国雄外務委員長否決149240091
1962年(昭和37年)12月22日参議院きうち しろう/木内四郎予算委員長否決056105051
1963年(昭和38年)6月22日衆議院あきた たいすけ/秋田大助社会労働委員長否決130162032衆議院における記名投票での最小の票差。
1963年(昭和38年)6月30日衆議院ながやま たたのり/永山忠則内閣委員長否決127197070
1964年(昭和39年)6月20日参議院なかやま ふくそう/中山福蔵法務委員長否決063099036
1965年(昭和40年)5月27日参議院にした しんいち/西田信一大蔵委員長否決045095050
1967年(昭和42年)8月4日衆議院かわの よしみつ/川野芳滿社会労働委員長否決149208059
1969年(昭和44年)4月10日衆議院ふした よしみつ/藤田義光内閣委員長否決149210061
1969年(昭和44年)5月29日衆議院いはら きしたか/井原岸高逓信委員長否決144194050
1969年(昭和44年)5月30日衆議院しせき いへい/始関伊平建設委員長否決140198058
1969年(昭和44年)5月30日衆議院きたさわ なおきち/北澤直吉外務委員長否決141203062
1969年(昭和44年)7月12日衆議院もりた しゆうしろう/森田重次郎社会労働委員長否決130172042
1969年(昭和44年)7月22日参議院はつた いちろう/八田一朗内閣委員長否決090121031
1969年(昭和44年)7月28日衆議院おおつほ やすお/大坪保雄文教委員長否決136209073
1973年(昭和48年)9月22日参議院たかた こううん/高田浩運内閣委員長否決090129039
1973年(昭和48年)9月24日参議院ながの しずお/ちんゆう/永野鎮雄文教委員長否決093125033
1974年(昭和49年)2月19日衆議院あらふね せいしゆうろう/荒舩清十郎予算委員長否決169236077
1974年(昭和49年)5月27日参議院せこう まさたか/世耕政隆文教委員長否決063095032
1975年(昭和50年)07月4日参議院ひかき とくたろう/桧垣徳太郎大蔵委員長未決000-000-000-
1975年(昭和50年)10月24日衆議院たさわ きちろう/田澤吉郎議院運営委員長否決157217060
1975年(昭和50年)10月24日衆議院ちさき うさふろう/地崎宇三郎逓信委員長否決164233069
1975年(昭和50年)10月25日衆議院うえむら せんいちろう/上村千一郎大蔵委員長否決166226060
1975年(昭和50年)12月13日参議院ひかき とくたろう/桧垣徳太郎大蔵委員長否決111124013参議院における記名投票での最小の票差。
1977年(昭和52年)5月11日衆議院しようし けいしろう/正示啓次郎内閣委員長否決169247078
1978年(昭和53年)11月28日参議院たかひら きみとも/高平公友内閣委員長否決001少数999多数999不明起立採決。


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