角田光代
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角田 光代
(かくた みつよ)
ペンネーム彩河 杏
(さいかわ あんず)
誕生 (1967-03-08) 1967年3月8日(57歳)
日本神奈川県横浜市
職業小説家翻訳家
言語日本語
国籍 日本
教育学士文学
最終学歴早稲田大学第一文学部文芸専修
活動期間1988年 -
ジャンル小説翻訳随筆
代表作

キッドナップ・ツアー』(1998年)

対岸の彼女』(2004年)

八日目の?』(2007年)

紙の月』(2012年)

『私のなかの彼女』(2013年)

主な受賞歴

海燕新人文学賞(1990年)

野間文芸新人賞(1996年)

坪田譲治文学賞(1997年)

路傍の石文学賞(2000年)

婦人公論文芸賞(2003年)

直木三十五賞(2005年)

川端康成文学賞(2006年)

中央公論文芸賞(2007年)

伊藤整文学賞(2011年)

柴田錬三郎賞(2012年)

泉鏡花文学賞(2012年)

河合隼雄物語賞(2014年)

読売文学賞(2021年)

デビュー作「幸福な遊戯」(1990年)
配偶者

伊藤たかみ(2006年-2008年)

河野丈洋(2009年-現在)

影響を受けたもの

開高健[1]

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角田 光代(かくた みつよ、1967年3月8日 - )は、日本小説家児童文学作家翻訳家。.mw-parser-output .toclimit-2 .toclevel-1 ul,.mw-parser-output .toclimit-3 .toclevel-2 ul,.mw-parser-output .toclimit-4 .toclevel-3 ul,.mw-parser-output .toclimit-5 .toclevel-4 ul,.mw-parser-output .toclimit-6 .toclevel-5 ul,.mw-parser-output .toclimit-7 .toclevel-6 ul{display:none}
来歴[ソースを編集]

神奈川県横浜市出身[2]。幼稚園時代は、他の子ども達よりも小柄でうまく話せず、失禁鼻水を垂らすなどの行動があった。そのため周りからおかしい子どもと勘違いされ、それがコンプレックスであった。このコンプレックスが自身を本好きにさせた理由と角田は自己分析している[3]。当時は、まだ字が読めなかったので、絵本から入ったという[3]。昔のコンプレックスは未だ残っていると角田は感じており、「いい加減忘れたいのに忘れられない、恨んでいる」「今でもちゃんと喋れている気がしない」「何かできているとしても、普通の人よりはできないという思いがある」と語っている[3]

作家を志したのは小学校1年生の時であった。他には特になりたい職業がなかったという[4]。大学2年の時、初めて小説を書く。角田によれば失恋した直後であり、それを主題としたという[4]。初めての作品を秦恒平に褒められたため、角田は「いい気になって次々書き始めた」と語っている[4]。角田は一途に作家になることだけを夢見ており、大学を「職業訓練所」という施設として見ていた[5]

捜真小学校[2][6] から捜真女学校中学部・高等学部を経て[7]早稲田大学第一文学部文芸専修卒業[8]。大学では学生劇団『てあとろ50'』に所属[9]。大学在学中の1988年、彩河杏名義で書いた『お子様ランチ・ロックソース』で上期コバルト・ノベル大賞受賞。ジュニア小説というジャンルでのデビューだったが、これは自分が望んでいたジャンルでは無かったとのちに語っている[10]

大学卒業から1年後の1990年、『幸福な遊戯』で第9回海燕新人文学賞を受賞し、角田光代としてデビュー[8]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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