この存命人物の記事には検証可能な出典が不足しています。信頼できる情報源の提供に協力をお願いします。存命人物に関する出典の無い、もしくは不完全な情報に基づいた論争の材料、特に潜在的に中傷・誹謗・名誉毀損あるいは有害となるものはすぐに除去する必要があります。
出典検索?: "角川歴彦"
かどかわ つぐひこ
角川 歴彦
2009年6月19日、東京都にて
本名角川歴彦(かどかわ つぐひこ)
生年月日 (1943-09-01) 1943年9月1日(80歳)
出生地 日本・東京都
国籍 日本
職業実業家
ジャンル映画
活動内容実写映画、
アニメーション映画、
テレビアニメ、
OVA
配偶者あり[1]
著名な家族角川源義(父)
辺見じゅん(姉)
角川春樹(兄)
角川慶子(姪)
主な作品
実写映画
失楽園(製作総指揮)
金融腐蝕列島〔呪縛〕(製作総指揮)
妖怪大戦争(製作総指揮)
沈まぬ太陽(製作総指揮)
Fukushima 50(製作代表)
アニメーション
ロードス島戦記シリーズ(製作総指揮)
フォーチュン・クエスト 世にも幸せな冒険者たち(製作)
スレイヤーズシリーズ(エグゼクティブプロデューサー)
MAZE☆爆熱時空シリーズ(エグゼクティブ・プロデューサー)
新世紀エヴァンゲリオン旧劇場版シリーズ(製作)
機動戦艦ナデシコ -The prince of darkness-(製作)
六門天外モンコレナイトシリーズ(エグゼクティブプロデューサー)
超劇場版ケロロ軍曹シリーズ(エグゼクティブプロデューサー)
時をかける少女(製作総指揮)
受賞
日本アカデミー賞
協会特別賞
1998年
その他の賞
ゴールデングロス賞全興連会長特別賞(1997年)
藤本賞特別賞(1998年、2010年)
エランドール賞特別賞(2000年)
新藤兼人賞プロデューサー賞(2023年)
テンプレートを表示
角川 歴彦(かどかわ つぐひこ、1943年(昭和18年)9月1日 - )は、日本の実業家、映画プロデューサー、アニメプロデューサー。公益財団法人角川文化振興財団名誉会長。一般社団法人日本映画製作者連盟顧問、一般社団法人映画産業団体連合会顧問。
株式会社メディアワークス代表取締役社長、株式会社角川書店代表取締役社長、株式会社角川グループホールディングス代表取締役会長兼CEO、株式会社KADOKAWA(現・株式会社KADOKAWA Future Publishing)取締役会長、カドカワ株式会社(現・株式会社KADOKAWA)取締役会長、東京メトロポリタンテレビジョン株式会社取締役、公益財団法人角川文化振興財団理事長、学校法人角川ドワンゴ学園理事、一般社団法人アニメツーリズム協会理事長、日本雑誌協会理事長、日本映像ソフト協会会長、コンテンツ海外流通促進機構代表幹事、東京国際映画祭チェアマン、内閣官房知的財産戦略本部本部員[2]、公益財団法人大宅壮一文庫評議員などを歴任した。 東京都出身[3]。父は角川書店創業者の角川源義[3]。のちに角川書店社長となる角川春樹は兄、歌人の辺見じゅんは姉で、三人の母は冨美子(旧姓鈴木)。両親が離婚した際、歴彦は冨美子が育てるはずだったが、離別の際に源義に抱かれて奪われ、結局源義が育てることになった[4]。早稲田大学高等学院を経て、早稲田大学第一政治経済学部政治学科を卒業した。 角川書店には1966年の大学卒業と同時に入社[3]。1971年から、NHKで放送されていた『日本史探訪』の書籍化を企画担当して成功させ、角川書店の救世主的出版となる[5]。 1973年に取締役となり、1975年に専務、1992年に副社長に昇格し[3]、その堅実な経営手腕は社長である兄・春樹と会社経営の両輪をなした[6]。かつてアメリカに留学したときにテレビのブラウン管や雑誌などのメディアへの理解が深まり[7]、子会社の株式会社ザテレビジョンの社長として1982年にテレビ情報誌の『ザテレビジョン』、1990年に都市生活情報誌の『東京ウォーカー』など雑誌部門を育てて、春樹の映画の業績不振の中で大きな収益を上げ、経営に貢献したと言われる[8]。
来歴
生い立ち
実業家として2011年6月21日、東京都にて