角川大映撮影所
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株式会社角川大映スタジオ
Kadokawa Daiei Studio CO.,LTD.種類株式会社
市場情報未上場
本社所在地 日本
182-0025
東京都調布市多摩川6-1-1[1]
本店所在地102-8078
東京都千代田区富士見2-13-3
設立2013年(平成25年)4月1日
業種サービス業
法人番号6010001152619
事業内容撮影・編集スタジオの運営
美術製作等
代表者堀内大示(代表取締役社長)
資本金1億円
売上高35億8百万円
(2021年3月期)[2]
営業利益1億67百万円
(2021年3月期)
経常利益2億9百万円
(2021年3月期)
純利益1億6458万9000円
(2023年3月期)[3]
純資産70億58百万円
(2021年3月期)
総資産75億9180万8000円
(2023年3月期)[3]
従業員数153名(2019年2月現在)
決算期3月
主要株主株式会社KADOKAWA(100%)
外部リンクhttps://www.kd-st.co.jp/
特記事項:1933年 日本映画多摩川撮影所として開所、2002年に角川大映撮影所となる[1]
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株式会社角川大映スタジオ(かどかわだいえいスタジオ)は、東京都調布市多摩川6-1-1に存在する日本の映画スタジオである。

KADOKAWAの傘下企業として、撮影・編集スタジオの運営や美術製作等を担うスタジオ事業を行っている[4]

「角川大映撮影所」となってからの歴史は浅いが、撮影所自体は、1933年(昭和8年)に同地に開所した日本映画多摩川撮影所以来、70年以上の歴史をもつ[1]

建物の看板には、源流企業である角川書店の鳳凰のマークと大映のマークの2つが掲げられている。
名称の変遷

1933年 日本映画多摩川撮影所

1934年 日活多摩川撮影所

1942年 大日本映画東京第二撮影所

1945年 大映東京撮影所

1977年 大映映画撮影所

1983年 大映スタジオ

2002年 角川大映撮影所

2013年 角川大映スタジオ

略歴・概要

1932年(昭和7年) - 京都の
東活映画社が東京に撮影所を新設すべく、本多嘉一郎(のちの調布市長)を派遣し、現在の角川大映撮影所を含む敷地約6500坪を無償で京王電気軌道(現在の京王電鉄)より取得したが、倒産、解体された。

1933年(昭和8年) - 東活映画社を母体に日本映画株式会社が設立され、同敷地に日本映画多摩川撮影所として開所した。当時の地番は東京府北多摩郡調布町大字布田小島分(旧同郡布田小島分村、現在の東京都調布市多摩川6-1-1)であった。

1934年(昭和9年) - 日本映画が倒産し、日本活動写真株式会社(現在の日活)が同撮影所を買収し、名称は日活多摩川撮影所となった。これにより日活現代劇部は京都から再移転し、初代所長には移転計画を陣頭指揮した専務取締役中谷貞頼が就任したが、後には根岸寛一に交代した。撮影所の裏手にあった集落も買収し、約5千坪の土地にスタッフのために社宅群を作ったエリアは大映に変わってからも昭和30年代まで続き「日活村」「大映村」とも呼ばれた[5][6]

1942年(昭和17年)1月 - 日活の製作部門が、戦時統制により大都映画および新興キネマと合併して、大日本映画株式会社(のちの大映)が設立された。京都に2か所、東京に3か所撮影所があったことから、同撮影所は大日本映画東京第二撮影所となった。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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