角川ヘラルド・ピクチャーズ
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株式会社角川ヘラルド・ピクチャーズ
KADOKAWA HERALD PICTURES, INC.種類株式会社
市場情報上場廃止
略称ヘラルド
本社所在地 日本
102-8302
東京都千代田区紀尾井町3番6号
設立1996年平成8年)7月10日
業種サービス業
事業内容映画の輸入・配給、テレビへの放送権販売、ビデオ頒布権販売
角川グループの映画の海外での営業権やリメイク権の販売
代表者江川信也(取締役兼代表執行役社長)
資本金29億18百万円
売上高178億74百万円(2005年3月期単体)
純利益△48億19百万円(2005年3月期単体)
純資産2億87百万円(2005年3月期単体)
従業員数69人(2005年3月期単体)
主要株主角川ホールディングス 100%
主要子会社ヘラルド・エンタープライズ株式会社
グロービジョン株式会社
関係する人物古川博三(三代目社長)
八十河瑞雄(元専務)
大西幸記(元専務)
坂上直行(元常務)
神立勝一(元取締役)
角川歴彦(取締役)
黒井和男(取締役)
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日本ヘラルド映画株式会社(初代法人)
NIPPON HERALD FILMS,INC.種類株式会社
市場情報非上場
略称ヘラルド
本社所在地 日本
104-8150
東京都中央区銀座五丁目11番1号
設立1956年(昭和28年)3月
業種サービス業
事業内容映画の輸入・配給、テレビへの放送権販売、ビデオ頒布権販売
代表者古川博三(代表取締役社長)
資本金90百万円
主要子会社ヘラルド・エンタープライズ株式会社
関係する人物古川為三郎(会長)
古川勝巳(初代社長)
古川為之(二代目社長)
難波敏(元副社長)
原正人(元常務)
堺正俊(元取締役)
特記事項:1996年(平成8年)10月 ヘラルド・エステート株式会社に商号変更、
2002年(平成14年)10月 ヘラルド不動産株式会社に吸収合併され解散。
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株式会社角川ヘラルド・ピクチャーズ(かどかわヘラルド・ピクチャーズ、KADOKAWA HERALD PICTURES, INC.)は、かつて存在した映画配給を主たる業務とした企業。旧商号は日本ヘラルド映画株式会社(にほんヘラルドえいが、NIPPON HERALD FILMS,INC.)。2006年3月に角川映画(現:KADOKAWA)に吸収合併された。
概要

愛知県名古屋市が発祥のヘラルドグループの企業を起源とし、洋画供給事業では、東宝東和松竹富士東北新社と共に有力企業であった。2005年8月に角川ホールディングス(現:KADOKAWA)の傘下に入り、社名変更後の翌2006年2月まで法人として存続した。
沿革

1956年(昭和28年)3月 - 古川勝巳と実父で映画興行者の古川為三郎が映画の製作・配給・興行を目的として愛知県名古屋市で有限会社欧米映画配給社(おうべいえいがはいきゅうしゃ)を創業[1]。代表取締役社長に勝巳、代表取締役会長に為三郎がそれぞれ就任。

1957年(昭和29年)12月 - ヘラルド映画株式会社(ヘラルドえいが)に商号及び組織変更。

1958年(昭和30年)12月 - 本社を東京都中央区銀座西に移転。

1960年(昭和35年)3月 - 映画輸入割当本数拡大を目的として、大洋映画株式会社角正太郎社長)と北欧映画株式会社(中筋藤一社長)を合併。

1961年(昭和36年)7月 - 映画輸入割当本数拡大を目的として株式会社ニッポンシネマコーポレーション(社長伊藤琴寿)と合併し、日本ヘラルド映画株式会社を設立。

1969年(昭和44年)7月 - 本社を東京都港区 新橋駅前ビルに移転。

1977年(昭和52年) - ヘラルドテレビ株式会社と日本ヘラルド映画株式会社の出版局を継承した(旧)ヘラルド・エンタープライズ株式会社を設立。

1980年(昭和55年) - 副社長の古川博三が代表取締役副社長に就任。

1981年(昭和56年) - 日本ヘラルド映画株式会社の宣伝部を継承した株式会社ヘラルド・エースを設立。

1986年(昭和61年) - 日本ヘラルド映画・ヘラルド興業社長の勝巳死去に伴い、代表取締役社長にヘラルド興業副社長の古川為之が就任。

1989年(平成元年)12月 - 代表取締役社長に博三、代表取締役会長に為之、名誉会長に為三郎がそれぞれ就任。

1990年(平成2年) - CSペイ・パー・ビューを開始[2]

1993年(平成5年)2月 - 本社を東京都中央区 銀座古川ビルに移転。

1994年(平成6年)10月 - (旧)ヘラルド・エンタープライズ株式会社、直営のミニ・シアター「恵比寿ガーデンシネマ1・2」がオープン。

1996年(平成8年)

7月10日 - 映画の製作、配給、興行及び不動産の売買を目的として東京都港区に資本金9千万円でヘラルド・エステート株式会社を設立。

10月

(旧)日本ヘラルド映画株式会社より映画配給事業の営業譲渡を受け、映像事業を開始。同時に商号を日本ヘラルド映画株式会社に変更。

(旧)日本ヘラルド映画株式会社はヘラルド・エステート株式会社に商号変更し、日本ヘラルド映画社員寮等の不動産管理会社となる(同月にヘラルド不動産と合併し解散[3])。



1997年(平成9年)4月 - ヘラルド・エンタープライズ株式会社が興行事業を開始。

1999年(平成11年)12月 - 映像作品の日本語版制作会社のグロービジョン株式会社の株式を取得し、100%子会社とする。

2002年(平成14年)9月4日 - 日本証券業協会に株式を店頭登録[4]

2004年(平成16年)

3月 - 株式会社角川大映映画を割当先とする第三者割当増資を実施し、株式会社角川ホールディングス(現:KADOKAWA)の持分法適用会社となる。

12月 - 日本証券業協会への店頭登録を取消し、ジャスダック証券取引所に株式を上場。


2005年(平成17年)

3月 - 株主異動により株式会社角川ホールディングス(現・KADOKAWA)の連結子会社となる。

6月 - 本社を千代田区紀尾井町に移転。角川映画役員で日活出身の江川信也が代表執行役社長に就任し、取締役全員が角川グループからの出向者となる。

7月27日 - ジャスダック証券取引所上場廃止[5]

8月 - 株式交換により株式会社角川ホールディングスの100%子会社となる。商号を「株式会社角川ヘラルド・ピクチャーズ」に変更。


2006年(平成18年)3月1日 - 角川映画と合併(存続会社は角川映画)、映画配給会社としての歴史に幕を下ろした。合併後の社名は角川ヘラルド映画株式会社

2007年(平成19年)3月1日 - 角川ヘラルド映画株式会社が社名を再び角川映画株式会社(二代目)に変更。名実共に映画界から『ヘラルド』(Herald)のブランドは消滅した。

主な映画作品
1959年


影(ポーランドの映画) ※初の輸入作品。

1960年代
1962年


戦場(ソビエト連邦の映画)
ロシア語: Повесть пламенных лет) ※1962年洋画配給収入9位。

ローマの恋

太陽はひとりぼっち

1963年


草の上の昼食

わんぱく戦争

チコと鮫(フランス・アメリカの映画) ※1963年洋画配給収入10位。

ぼくの伯父さんの休暇

地下室のメロディー ※1963年洋画配給収入6位、東和・松竹映配との共同配給。

ソドムとゴモラ

女と男のいる舗道

1964年


突然炎のごとく

昨日・今日・明日

ゼロの世代

アイドルを探せ

軽蔑

輪舞

1965年


ダンケルク ※1965年洋画配給収入10位。

タブウ

柔らかい肌

ああ結婚

夜霧のしのび逢い

1966年


幸福(しあわせ)

戦争と平和(第一部) ※1966年洋画配給収入5位。

1967年


ガンマン無頼

気狂いピエロ

狂った大陸・これがアメリカだ

ナポリと女と泥棒たち

戦争と平和(完結編) ※1967年洋画配給収入7位。

1968年


ダーリング

サムライ

さらば友よ

フリーセックス地帯を行く?天国か地獄か

1969年


華麗なる殺人

アポロンの地獄

黄金無頼

太陽が知っている

世にも怪奇な物語

千夜一夜物語 ※1969年邦画配給収入5位、虫プロダクション制作アニメラマ第1作。

ネレトバの戦い ※1970年洋画東京ロードショー分の興行収入6位。

1970年代
1970年


世界秘教地帯を裂く? 続・快楽と神秘

やさしいライオン

クレオパトラ ※虫プロダクション制作アニメラマ第2作。

雨の訪問者

SOS北極... 赤いテント

チャイコフスキー ※1971年洋画東京ロードショー分の興行収入4位。

狼の挽歌 ※1971年洋画東京ロードショー分の興行収入7位。

1971年


哀しみのトリスターナ

みどりの壁(ペルーの映画)

小さな恋のメロディ ※1971年洋画東京ロードショー分の興行収入5位。

雨のエトランゼ

ヤスジのポルノラマ やっちまえ!!

愛すべき女・女たち

夜と霧

1972年


小さな悪の華

死刑台のメロディ

ひきしお ※1972年洋画東京ロードショー分の興行収入6位。

ひとりぼっちの天使

バラキ ※1973年洋画配給収入4位。

1973年


赤ちゃんよ永遠に


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