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1938年、アンシュルス(オーストリア併合)後の親衛隊上級地区(SS-Oberabschnitt)の指定。
親衛隊地区、親衛隊上級地区(SS-Abschnitt, SS-Oberabschnitt)は、ナチス・ドイツの親衛隊(SS)(一般親衛隊)が、全ドイツに設置していた行政区画。地区ごとに指導者(Fuhrer)が置かれ、一般親衛隊は地区ごとに指導者の指揮を受けていた。 親衛隊の地域区分としては、もともと突撃隊(SA)にならって親衛隊集団(SS-Gruppen)とその下に複数の親衛隊地区(SS-Abschnitt)が置かれる形で区分されていた。しかし1933年に親衛隊上級地区(SS-Oberabschnitt)が新設され、その下に複数の親衛隊地区(SS-Abschnitt)が置かれる形に変更された。親衛隊地区はさらに複数の親衛隊連隊(SS-Standarte)を保持していた。 ハインリヒ・ヒムラーは、1937年11月13日に「親衛隊及び警察指導者」(Hohere SS- und Polizeifuhrer、略称HSSPF)を各地域に設置したが、親衛隊上級地区の指導者がこれを兼務するのが通例であった。ただ親衛隊及び警察指導者は第二次世界大戦中のドイツ国防軍占領地域にも設置されていたのに対して親衛隊地区は一部を除いて第三ライヒ内部(ドイツ国内)にのみ設置されていた。 『親衛隊上級地区(SS-Oberabschnitte 略号: Oa)』はいくつかの『親衛隊地区(SS-Abschnitte 略号: Oa)』で構成され、通常は親衛隊中将か親衛隊大将によって指導された。また、非公式の呼称として、1933年にSSが用いていた『上級集団(Obergruppe)』が存在した。 SS上級地区は45区のSS地区に細分化され、そこには一般SSの親衛隊連隊(Standarten)が配置されていた。SS連隊には、127個の『徒歩連隊(Fusstandarten)と22個『騎兵連隊(Reiter-Standarten)』が存在しており、SS連隊は、大隊(Sturmbanne)、中隊(Sturme)、小隊(Trupps)、分隊(Scharen)、班(Rotten)で構成されていた。さらに、1944年11月にSS上級地区は、17個の医療中隊(Nachrichtensturme)、15個の工兵中隊(Pioniersturme)、18個の自動車中隊(Kraftfahrsturme : Motor-SS)を有していた。 第二次世界大戦中の再編によって、SS上級地区は国防軍の軍管区とほぼ一致した範囲となり、1933年の時点で12区であったSS上級地区は、1938年には14区になり、さらに1941年には19区、1944年11月時点で全23区となった。 SS上級地区一覧
概要
親衛隊上級地区
SS上級地区一番
(1944年11月9日現在)番号地区名本部番号地区名本部
1北東(Nordost)ケーニヒスベルク13マイン(Main)ニュルンベルク
2東海(Ostsee)シュテティーン14ドナウ(Donau)ウィーン
3シュプレー(Spree)ベルリン15北西(Nordwest)デン・ハーグ
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