親睦
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「コミュニケイション、コミュニケーション」はこの項目へ転送されています。その他の用法については「コミュニケーション (曖昧さ回避)」をご覧ください。
女性どうしのコミュニケーション グループでのコミュニケーション 近年では端末を通じたコミュニケーションも盛んになっている。心(気持ち)の通い合いが大切であるので、表情)を互いに見つつ行うことが好まれ、(文字しか使えない端末では、代わりに)顔文字を用いたり、スマートフォンが登場してからは、ビデオ通話などが行われるようになっている。

コミュニケーション(: communication)もしくは通信(つうしん)、交流(こうりゅう)、意思疎通(いしそつう)とは、

社会生活を営む人間の間で行われる知覚感情思考の伝達[1]

生物学動物個体間での、身振り音声匂い等による情報の伝達[1]

原語がcommunicationなのでカタカナで表記する場合は「コミュニケーション」である(出典:広辞苑[1]大辞泉[2][注 1][注 2]
目次

1 概説

1.1 語源


2 心理学的解釈

3 人間関係とコミュニケーション

3.1 非言語コミュニケーション(NVC)

3.2 他者理解:対人的コミュニケーションと個体内コミュニケーション

3.3 コミュニケーションの男女差


4 経営のコミュニケーション

5 マス・コミュニケーションとコミュニケーション技術の進歩

6 動物のコミュニケーション

7 分類

8 コミュニケーションゲーム

9 参考文献

10 出典 脚注

11 関連理論

12 関連項目

概説

「コミュニケーション」という語は多種多様な用いられ方をしている。

辞典類ではまず、人間の間で行われる知覚・感情・思考の伝達[1][3]、などといった簡素な定義文が掲載されている。

ただし、上記のような定義文では不十分で、一般に「コミュニケーション」というのは、情報の伝達だけが起きれば充分に成立したとは見なされておらず、人間と人間の間で、《意志の疎通》が行われたり、《気持ちの通い合い》が行われたり、《互いに理解し合う》ことが起きて、はじめてコミュニケーションが成立した、といった説明を補っているものもある[4]

原義が上記のようであるため、コミュニケーションに含まれるものは実に広範囲に及ぶ。そもそも言語そのものが他者とのコミュニケーションを目的とするものであり、言語を使って他者へと呼びかけるものはすべてコミュニケーションと呼ばれうる。挨拶会話演説も、すべてがコミュニケーションである。個人間のコミュニケーションにおいても、直接の接触だけでなく、電話手紙といったように遠隔地にいる者に対して何らかの媒体を使用しコミュニケーションをとることは広く行われている[5]報道も「マスコミュニケーション」という語の通り、コミュニケーションの重要な部分を占める。言語を使わないコミュニケーションも当然存在し、非言語コミュニケーションと呼ばれる(後述)。贈答もコミュニケーションにおいては重要な部分を占める。

学術的には、一般的な用法から離れて、広義に用いることがあり、記号などの何らかの因子の移動を伴う、ある分けられる事象間の相互作用の過程をコミュニケーションと呼ぶことがある。
語源

英語:communication = ラテン語:communis ( common, public, 共通の) communio(交わり, comm共に unio一致)+ munitare

心理学的解釈

コミュニケーションを発信と応答という観点から見た場合、ある個体のアクション(発信)に応じて別の個体にリアクション(応答)が生じた場合、両者の間にコミュニケーションが成立していることになる[6]。コミュニケーション行動の機能は、たんに情報の伝達にとどまらず、情動的な共感、さらには相手の行動の制御をも幅広く含んでいる[7]

コミュニケーションの成立は、そのための適切な発信行動が取られたというだけではなく、受け手が適切なシグナル媒体に注意を向け情報を受信した上で、さらに的確な理解をしているかどうか、という点にもかかっている。記号の解釈にあたっては、相補的関係にあるコンテクスト(非言語的な文脈)とコード(言語的な約束)とが参照される[8]。定められたコードを参照するだけでは、メッセージが解読できないとき(たとえば子供のコミュニケーション)、コンテクストが参照され、受信者による推定が加わる事になる[9]

コミュニケーションによって、受け取られる、または伝えられる 情報の種類は、感情意思思考知識など、様々である。受け取るまたは伝える ための媒体としては、言葉表情ジェスチャー鳴き声分泌物質(フェロモン等)などが用いられている。動物の媒体[10]と人間の媒体を比較すると、人間の媒体には(身体の動作表情フェロモンなどの動物と共通の媒体に加えて)言語がある、という点が異なっている。

コミュニケーションは、その相互作用の結果として、ある種の等質性や共通性をもたらすことも少なくない[11]。人間の場合は特に、他者に対して自分の心の状態を伝えることで働きかけるだけでなく、他者から受け取った情報により、相手のの状態を読み取ったり共感したりすることも含まれる(他者理解)[12]
人間関係とコミュニケーション

イヌネコも、イヌやネコなりにコミュニケーションをしているが、しかし人間のように、こまやかな関係をつくることはできない。「刎頚の交わり」という言葉があるが、これは首を切られても悔いが無いような親しい友人関係のことである。このような言葉があるほどに、人間は親密になることも可能である。なぜ、このようなことが可能なのか。それは、ひとつには人間が「ことば」を使えるからであり[13]、お互いに「わかる」ことができ、共感(Empathy)を持つこと、共感することができるからである[14]

ひとりの人間の内部に発生している状態ときわめてよく似た状態がもうひとりの人間の内部に生ずる過程、それが共感である。例えば、誰かが「痛い」と言う。その「痛い」という言葉を聞いた時、聞いた人の内部ではひとつの過程が発生する。「痛い」という言葉によって表現されたからだの状態に似た状態を、聞き手はみずからの体験に即して想像する。聞き手はべつだんその部分に痛みを感じるわけではないが、「痛い」という言葉によって表現しようとしている身体の状態がどのような性質であるかを知っているのである[15]。また、共感はしばしば、生理的な次元でも起きる。例えば、母親と子供といったこまやかな関係においては、痛みはたんに想像上経験されるだけでなく、実際の生理的な痛みとして体験されることもある。子どもが「痛い」と言うたびに、母親もその部分が本当に痛くなったりするのである[16]。人は映画を見ている時など、登場人物が危機的な場面に陥るとハラハラしたり、胸がドキドキしたり(つまり心拍数が上がったり)、手に汗をにぎったりする。人間は、映画のなかの登場人物に自分自身を置き換えると言える。人間は「相手の身になる」能力を持っているのである[17][18]

ところで、ことばを用いた共感についてであるが、これは日常的に行われている平凡なことであるが、よくよく考察すると奇妙なものなのである。例えば、小説を読んでいるときの人間の心のうごきを分析してみると、前述のごとく、読者は作品のなかの登場人物の「身になって」物語を追う。これは平凡な現象である。だがしかし、よくよく分析すると、この物語とは何かというと、紙の上に点々と黒くしみついているインクのシミのあつまりにすぎぬ。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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