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けんじょう とおる
見城 徹
生誕 (1950-12-29) 1950年12月29日(73歳)
日本 静岡県清水市(現・静岡市清水区)
国籍 日本
職業編集者
実業家
活動期間1973年 -
代表作『公文式算数の秘密』
『編集者という病い』
『異端者の快楽』
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見城 徹(けんじょう とおる、1950年〈昭和25年〉12月29日 - )は、日本の編集者、実業家。株式会社幻冬舎代表取締役社長[1]。株式会社タッチダウン代表取締役社長。株式会社キャブ代表取締役社長。エイベックス株式会社取締役(非常勤)。株式会社テレビ朝日の放送番組審議会の委員長。 1950年、静岡県清水市(現・静岡市清水区)生まれ。清水市立有度第一小学校、清水市立第七中学校、静岡県立清水南高等学校を経て、慶應義塾大学法学部政治学科を卒業後、廣済堂に入社[2]。自身で企画した初めての『公文式算数の秘密』(1974年)が38万部のベストセラー。1975年、角川書店に入社。『野性時代』副編集長を経て、『月刊カドカワ』編集長に。編集長時代には部数を30倍に伸ばした。41歳で取締役編集部長に昇進。1993年、取締役編集部長の役職を最後に角川書店を退社。部下5人と幻冬舎を設立し[3]、代表取締役社長に就任。2008年、旧株式会社ブランジスタの取締役に就任。 2010年6月からはエイベックス・グループ・ホールディングス株式会社の非常勤取締役を務める[4][注 1]。2011年、株式会社ブランジスタの取締役会長に就任。2013年、秋元康、エイベックスの松浦勝人、サイバーエージェントの藤田晋らと女性向け雑誌「DRESS(ドレス)」を発売するために「株式会社gift」を設立(3億4200万円の赤字を出して2015年に売却[5])した[6]。2015年、第28回日本メガネベストドレッサー賞・経済界部門を受賞[7]。 廣済堂出版入社後、見城が最初に手がけた本は「十万円独立商法」という本である。同書について、当時「東京スポーツ」で記者をしていた高橋三千綱が特集で大々的に取り上げてくれた。そのお礼に、本の著者が3万円を出してくれ、見城はそのお金で高橋と飲みに行き親しくなった。その後、高橋は群像新人賞を受賞する。そのお祝いで再び飲みに行った時、小説家の中上健次を紹介される。以降、見城はゴールデン街や新宿2丁目で文学論と喧嘩の日々を過ごす。そこには、村上龍や立松和平、つかこうへいなど多くの若き作家が集まっていた。
略歴
来歴
文芸編集者