見上げてごらん夜の星を_(曲)
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「見上げてごらん夜の星を」(みあげてごらんよるのほしを)は、1960年に初演されたミュージカル『見上げてごらん夜の星を』の劇中主題歌。作詞永六輔、作曲いずみたく

1963年、坂本九のカバーがヒットし第5回日本レコード大賞作曲賞を受賞。坂本の代表曲であり、後に数多くのアーティストにカバーされた。
概要

元々は、1960年に永六輔いずみたくが制作・公演した同名ミュージカルの劇中主題歌であり伊藤素道とリリオ・リズム・エアーズが最初に歌っていた。1963年5月1日に、坂本九が東芝音楽工業(後のEMIミュージック・ジャパン)からシングルレコードとしてリリースすると大ヒットした。編曲者は渋谷毅である。1964年時点でシングルレコードだけで15万枚を売り上げている[1]

坂本はミュージカルの再演と同名映画でも夜学生を主演し、地方から東京へ集団就職し定時制高校に通っていた生徒たちは、この名曲に励まされたという[2][3][4]。いずみによると同曲はレコードで聴くというよりは自分でなんとなく口ずさんでしまいたくなる曲であり、ヒットのわりにはレコードはあまり売れなかったという[5]。なお、作曲を手がけたいずみたくは本楽曲で第5回日本レコード大賞・作曲賞を受賞している。

坂本は本楽曲で1963年末の「第14回NHK紅白歌合戦」に3回目の出場を果たし、目をつむって熱唱した[6]。また、1969年の「第20回NHK紅白歌合戦」でも坂本によって歌唱されている。2003年には平井堅が本楽曲をカバーし、最新技術を用いた坂本のオリジナル映像との組み合わせでまるで坂本と平井が本当に共演しているかのようなPVが製作され、同年の「第54回NHK紅白歌合戦」でも平井と坂本の映像のデュエットが披露された[7]

日本航空123便墜落事故で坂本が不慮の死を遂げた直後の1985年8月21日放送のフジテレビ系「夜のヒットスタジオDELUXE」では、森進一が坂本への追悼の意を込めて、当日歌唱予定であったオリジナル曲「うさぎ」の歌唱を急遽取り止めて本楽曲を涙ながらに熱唱。その際にスタジオにいた出演者・スタッフのみならず多くの視聴者の涙を誘った。この場面は番組史上に残る絶唱として番組が終了した現在もなお語り草となっている。B'zのボーカル稲葉浩志は後年、プロミュージシャンを志すに当たって強い影響を受けた場面としてこの森による歌唱を挙げた。森はこの後も他のテレビ番組でも幾度か披露したほか、自身のオリジナルアルバムでも本楽曲を録音した。

1987年には日本の中学生向け音楽教科書に、1984年以後は高校生向け音楽教科書に何度か掲載されている[8]

2002年、全国の天文台が行ったインターネット調査で「『星』で思いつく歌」という質問に対して、ディズニー映画ピノキオのテーマ曲「星に願いを」に次いで、本楽曲が2位に選出[9]

2006年(平成18年)に文化庁日本PTA全国協議会が「日本の歌百選」に選定した[10]
エピソード

1980年放送の桃屋「ごはんですよ!」のテレビCM「思い出のフォーク篇」において「見上げてごらん夜の星を」が使用された[11]

2007年、和歌山県海草振興局や紀美野町まちづくり推進協議会などは、観光客誘致を狙って特殊な舗装で車が通ると音楽が鳴る「メロディーロード」を、紀美野町赤木の国道370号に整備したが、町内の小中学生のアンケート結果から『見上げてごらん夜の星を』を曲として採用した。約320メートルを、溝の幅や深さがさまざまなしま模様に舗装し、制限速度を守って時速約40キロで走るとタイヤとの接触音が約30秒間車内でメロディーのように聞こえる仕組み。事業費約500万円[12]

2011年東日本大震災後、坂本九の歌が被災地でミュージシャンに歌われたり、復興に向けたCMソングに起用されたりと静かなブームになった。たとえば、坂本の妻で女優の柏木由紀子と娘で歌手の大島花子舞坂ゆき子は岩手県釜石市で開かれたミニコンサートで『上を向いて歩こう』と『見上げてごらん夜の星を』を歌った[13]。この2曲は、4月6日から約1カ月間、飲料会社サントリー(大阪市北区)のCMソングにも起用された[13]


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