覆面レスラー
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ミル・マスカラスレイ・ミステリオ

覆面レスラー(ふくめんレスラー)は、素顔がわからないように頭部や顔などの一部または全体を覆面で覆い活動するプロレスラーのことである。マスクマンとも呼ばれる。多くの場合は顔のみではなくリングネームを用いることなどで、その正体も隠されている。
起源

初の覆面レスラーは1915年12月9日にニューヨーク・マンハッタン・オペラハウスに登場したマスクド・マーベル(Masked Marvel)だったとされる[1]。翌年1月16日、世界チャンピオンのジョー・ステッカーに挑戦し、敗北後自らマスクを脱ぐ。正体は1904年セントルイス五輪、アマチュアレスリングヘビー級アメリカ代表のモート・ヘンダーソン(Mort Henderson)[1]。正体が明らかになるとオリンピアンのショー・スポーツ出場として社会問題化し警察の捜査まで行われた[1]。アンダーソンは当時全米体協の交付ライセンスは失効しており、収入を得るためプロモーターの要請に応じ試合をしただけであったが、一般マスコミの好餌となってしまった。以降、アンダーソンは素顔で試合を続けるが全米では1938年まで覆面レスラーは現れない(この時出た選手は「2代目マスクド・マーベル」)[1]。また、この騒動により、ニューヨーク州のアスレチック委員会はプロレスラーに対してもライセンスを交付することになり、ライセンス切れの元アスリートが収入のためだけに正体を隠してプロレスに上がることの防止策を施している[1]

単発的ではない、本格的な覆面レスラーが現れるのは1945年12月、ワシントンDCに現れた "縞馬小僧" ゼブラ・キッドが最初とされる。初代は正体はこわもての顔のオラール・オルセン(のちにスウェディッシュ・エンジェル)で正体を明かすまで4年間、東海岸でアイドル的存在だった(のちに来日するのは2代目のジョージ・ボラス版である)。

後述するメキシコで覆面レスラーが活動するのは1940年代から。この時期のアメリカではメキシコ製と差別化を図るべく、フリークス(見せ物)という動きが出てくる[2]。この代表格が "ミイラ男" ザ・マミーである(初代はベンジー・ラミレス[2]。ザ・マミーのキャラクターは密入国を隠すため、またはプロモーターが身元引受人となる代わりに生み出したキャラクターだったといわれている。
覆面レスラーの正体

覆面レスラーはメキシコルチャリブレに多く存在する。ルチャリブレに伝統的に覆面レスラーが多い理由の一つとして、昼間は他の職業についているため、夜に試合を行う場合が多く、正体を隠す必要があったためである。また、かつてアメリカでは試合をするプロレスラーにライセンスが必要で、それを持っていないため、正体を隠していた例もある(ザ・デストロイヤー)。ただし今日では、特に理由がなくても覆面を利用するレスラーも多い。日本に於いては、キャラクターとして団体からの命令で覆面レスラーに変身する例も多く、変身によって大ブレイクするも当の本人の意思に反する場合もある。また、ヨーロッパのプロレスは、アメリカとは違った怪奇派覆面レスラーが多い。

日本初の覆面レスラーは1956年に来日したメキシコのラウル・ロメロ[3]であるが、ロメロは日本限定の覆面レスラーで、メキシコ国内では一度もマスクをつけたことがなかった。日本で使用したマスクは、アラーニャ・デ・モレロスというレスラーのマスクを借りたものだと言われている[4]。その後、1959年に来日したミスター・アトミックが大人気を博した。日本でデビューした初の覆面レスラーは小林省三(ストロング小林)の覆面太郎(1967年デビュー)といわれている。

ミル・マスカラスに代表されるメキシコのプロレスや、ザ・デストロイヤーの影響で日本の団体でも覆面レスラーは多く存在する。海外武者修行からの帰国や長期休養明けを機に覆面レスラーになったり、既存レスラーのてこ入れ策としてギミック変更の一環で行われる。

日本の覆面レスラーの特徴としては、デビュー以降は比較的早い段階でその正体がわかることが多い。獣神サンダー・ライガーの様に、所属団体がその正体を公式に明かすことはしなくても多くのファンが知っている場合も存在する。また、岩手県議会議員時代に議会においても覆面を使用したザ・グレート・サスケや、本名や素性を自ら明かしたりテレビ番組で能動的にマスクを外すことも多いスーパー・ササダンゴ・マシンなど、正体を伏せずに活動する覆面レスラーも存在する。三沢光晴の2代目タイガーマスクなどはデビュー戦の段階で多くのファンに正体がわかっており、三沢コールが起こっていた。

なお、前述のタイガーマスクや獣神サンダーライガーのようにTV番組のタイアップや人気キャラクターなどをモチーフにする場合もみられるが、ウルトラマンウルトラセブンは海外にまで飛び火する人気を誇ったため、メキシコを中心に活躍するマスクマンまで登場した(新日本プロレスに来日したウルトラマン全日本プロレスがメキシコから来日と謳ったウルトラセブンなど)。

地方発のプロレス団体には覆面レスラーを多数起用して旗揚げするケースも多い。特に設立者自らが覆面レスラーである場合がほとんどで、彼等はプロレス団体の人気を一手に引き受ける「顔役」となるケースが大半である。大阪プロレスブラックバファローくいしんぼう仮面は、元みちのくプロレススペル・デルフィンが中心となって打ち立てたキャラクターである。弱小インディー団体で大成しなかったレスラー達に分かり易いキャラクターを与えて多くの選手を再生させた事により、大阪プロレスはレスラー再生工場などと言われた事もあった。

大多数の覆面レスラーはマスク自体にレスラーとしてのアイデンティティーがあると考えているため、リング内外を問わずマスクを脱いで素顔を晒すことが少なからずあるスーパー・ササダンゴ・マシンのような極一部の例外を除き、マスクに手をかけられたり剥がされたりすることを極端に嫌う。レスラーとして路線変更をする場合前出の三沢光晴や平田淳嗣(スーパー・ストロング・マシーン)のように自らマスクを脱ぎ捨てる場合がある。前出のブラックバファローはマスクを脱ぎ捨てた後もリングネームを変えずに活動する稀有なケースである。マスクを剥ぐ、剥ごうとする行為はほとんどの団体で反則とされているが、小林邦昭のようにあえてそれをやることでヒールとしてのイメージ確立を図ることもある。

また、覆面レスラーが地方議員になった例として、ザ・グレート・サスケ(岩手県議)、スペル・デルフィン(和泉市議)、スカルリーパー・エイジ(大分市議)、グレート☆無茶(長野市議)があるが、サスケとデルフィンは議会の別室で素顔の本人確認をすること等を条件に覆面姿の議場入場は認められたが、エイジは覆面姿での議場入場は認められなかった。
覆面の利便性

覆面はギミックの中でも見た目が派手なため、地味なレスラーや普段目立っていないレスラーに覆面を着用させ、注目を集めるために使われることもある。他にも一人のレスラーが素顔と覆面、または二種類以上の覆面を使い分けて一人二役を演じることも少なくない。これを利用して所属選手数の少ない団体ではレスラーがギミックを使い分けて一回の興行で2試合出場することもある。

また、覆面をかぶることで素の自分とは異なるキャラクター、人格になりきり、素顔の時には出せなかった実力が発揮できる効果もある。地力はあるものの、性格が優しかったり引っ込み思案なレスラーが、覆面の力でトップレスラーになるケースも多い(ペイントレスラーにも同様のことが言える)。一方で救世忍者乱丸のように義眼など顔の障害を隠すために着用する場合もある。

変わった例として、新日本プロレスが1973年に招聘したエル・サントは、メキシコの大物覆面レスラーのエル・サントとは全くの別人であった。正体のレスラーはメキシコに帰国した際、日本遠征中にエル・サントを名乗ったことがばれて大いに顰蹙を買ったという。なお、新日本に「オリジナルのエル・サントが来る」と誤解させる意図があったかどうかは不明。さらに変わった例として、キラー・コワルスキーは晩年頭が薄くなってカツラを着用していたが、カツラが取れると困るというので覆面をかぶって試合をしたことがあった。

覆面レスラー同士のタッグチームにおいては、マスクやコスチュームを同一にして見分けが付かなくすることで、レフェリーの目を盗んでの「すり替わり」などの攪乱戦法を用いる。ジ・アサシンズはその先駆的存在だった[5]
マスク軍団

1984年に登場したストロング・マシーンは9月に同じ覆面男がセコンドにつき「増殖」。覆面レスラーにとってマスクデザインが個性であったが、機械を名乗ることで大量生産もできるという覆面を逆手に取った設定で、10月以降も3号、4号が登場しマシン軍団を形成していく。


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