要因
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「因」はこの項目へ転送されています。仏教用語の因については「因縁」をご覧ください。

この項目では、原因と結果に関わる概念全般について説明しています。

インド哲学や仏教における原因と結果の概念については「因果」をご覧ください。

刑法分野や民法分野をはじめとする法学における因果関係概念・理論については「因果関係 (法学)」をご覧ください。

因果性(いんがせい、: causality、コーザリティ)とは、2 つの出来事が原因と結果という関係で結びついていることや、あるいは結びついているかどうかを問題にした概念である。日本語では「因果関係」という表現も用いられる。
目次

1 概要

2 アリストテレスの説

3 ヒュームの因果説

4 因果規則性説

5 単称因果言明、因果律

6 因果律という考え方の反事実条件法への置き換え

7 因果律

7.1 物理学における因果律

7.2 医学における因果律

7.3 歴史

7.4 SFなどにおける因果律


8 脚注

8.1 注釈

8.2 出典


9 参考文献

10 関連項目

概要

まず導入として、Oxford Dictionaryがcausalityの語義としてどのような説明をしているか紹介すると、「結果と原因の関係」および「何事にも原因があるとする原理」の2つを挙げている[1]

つまり、因果性は、ひとつは、ある物事が別の物事を引き起こしたり生み出していると考えたとき、その二つの物事の間にある関係(性)であり、もうひとつは、何事にも原因がある、とする原理(あらかじめ置かれている言明)を指しているのである。

たとえば、「C が起きた原因は B1 と B2 である」「A の結果、Z が起きた」「A のせいで B が起きた」などが因果性があると表現した文章である。 ひとつの出来事に骨状・ツリー状に原因の連鎖を挙げ、それらを分析することで改善を図る特性要因図の一例(純粋科学的なレベルではなく、日常・実用・工学的なレベルで 原因を分析する)。

ある出来事の原因について考察するとき、しばしばたった一つのことを原因として挙げる場合がある。たとえば、「今朝遅刻した原因は、昨日飲み過ぎたのが原因だ」といったような考え方がそうである。しかし、「昨日飲み過ぎたことが、今朝の遅刻の原因である」と言うことが適切なのかは、疑問の余地がある。たとえば、昨日飲み過ぎたとしても、昨晩目覚まし時計をかけるのを忘れなければ、起きられたかもしれない。また、夜中に近所で騒音がして睡眠が妨害されることが無かったら起きられたかも知れない。さらに、カーテンを閉めて朝日が入らなかったことも原因かも知れない。その他にも、書ききれない無数の条件が揃っていたからこそ、その出来事は起きたのである。つまり、「遅刻した」という一つの出来事には、実際には無数の原因が存在しているのである。

一方で、人々が因果関係だと信じているものの中には、実際には誤解・錯覚に過ぎず、因果関係ではないものが多数含まれている。言い換えれば、因果性に関する誤謬の一つに、同時に発生している 2 つの出来事の間に因果性を認めてしまうのである。たとえば、アイスクリームの消費が増える時期と水死者が増える時期はおおむね一致する。しかし、だからといって「人々がアイスクリームを食べたから、水死者が増えた」とするのは短絡的である。これは、相関関係に過ぎない。実際には、「暑い→アイスクリーム消費量が増える」「暑い→水遊びをする人が増え水死者が増える」という共通原因があるに過ぎない。

西洋哲学では、古来より因果性についてさまざまな考察が行われてきた。アリストテレスは、原因を4つに分類して考察してみせた。これは、現在でも有用性が認められることがある。また、ヒュームは、因果性の存在自体を疑問視した。

古代ギリシアでは、「自然はそれ自体に変化する能力がある」と理解されていた。つまり、自然は動的なもの、それ自体で変化するもの、としてとらえられていたのである。[2]。言い換えれば、「自然自体や個々の存在自体の中にも、原因・動因がある」という理解である。それは、一般的な理解であった(東洋人でも、一般的な自然理解としては、昔も今も、自然自体に変化する能力を認めている)。

西欧でルネ・デカルトが『世界論』を最初に構想・執筆したとき、(ギリシアの自然観同様)自然自体に発展する能力を認めた説を構築しその原稿を書いた。[2][注 1]原稿を書き終えた後でガリレオ裁判の判決の結果を聞いたデカルトは、自身がブルジョア階級者で体制側の人間そのものでもあったこともあり、体制である教会を敵に回すことを避けるため、その説の出版は止め[2]、説の内容を改変した[2]。その結果、彼は、キリスト教的な神が必要とされるように「自然は死んでいて、常に神が働きかけることによって動いている」とする世界観に自説を変更し、出版した[2]

もともと世の中では一般的に、(要因・原因)には、内的な力と外的な力があるとされていた。しかし、デカルトの政治的な意図によって、それは改変された。その中では、内的な力がすっかりそぎ落とされてしまった。こうして改変された説が、同時代・後世へと大きな影響を及ぼした。その結果、死んだものとしての自然観、個々の存在の内的な力(動因)の記述が欠落した説明方法が登場し、世に広まってゆくことになった。

アイザック・ニュートンも、自身の信仰によってを考慮しつつ説を組み立てており、万有引力と関係させ「空間は神の感覚中枢 」と述べた[注 2]

20世紀に発展した量子力学によれば、量子論的な状態決定論的に振る舞うが、そこから得られる観測結果は確率的に振る舞う[3]。そこでは、古典的な意味での因果律は成立せず、局所性実在性は両立しない。このように、状態が決まっても結果は一意には決まらない、とする論などを非決定論と言う。
アリストテレスの説


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