西野神社
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西野神社


拝殿
所在地北海道札幌市西区平和1条3丁目1-1
位置.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯43度03分35秒 東経141度15分38秒 / 北緯43.05972度 東経141.26056度 / 43.05972; 141.26056
主祭神豊玉姫命
鵜葺草葺不合命
譽田別命
社格等旧村社
創建明治18年(1885年
本殿の様式神明造
例祭9月の敬老の日の前の日曜日
主な神事歳旦祭、節分祭、紀元祭、人形供養祭、春季例祭、夏越大祓、禊祓行事、宵宮祭、本祭(例祭)、泣き相撲、新嘗祭、師走大祓、除夜祭など
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西野神社(にしのじんじゃ)は、北海道札幌市西区に鎮座する、神社本庁包括下(北海道神社庁札幌支部管内)の神社。札幌市西区の西野平和福井の3地区を氏子区域とする(但し西野の一部地域は上手稲神社の氏子区域に含まれる)。旧社格村社摂社末社兼務社などはない。

近年は縁結びや安産の神社として広く知られるようになり、特に平成20年代前半頃からは、縁結びや良縁を願う若い女性の参拝者が増えている。また、同年代頃から、安産祈願の吉日とされる「戌の日」の特に午前中は、安産祈願の祈祷を受けにくる妊婦や夫婦、その付き添いの家族・親族達で境内が賑わうようになった。[要出典]

例祭は9月(敬老の日の前の日曜日)で、例祭当日には、三基の神輿(京神輿・江戸神輿・子供神輿)が氏子区域を渡御し、太鼓山車も同時に巡行する。

西野神社特有の神事としては、3月(毎年ひな祭りの直後の日曜日)に参集殿内で執り行われる人形供養祭(人形清祓・お焚き上げの神事)、9月(毎年例祭の1週間前)に儀式殿前で執り行われる禊祓行事、例祭日に土俵で執り行われる泣き相撲(赤ちゃん相撲)、不定期に執り行われる良縁祈願祭などがある。

境内には、故人の御霊(みたま)が宿る霊璽を奉安し霊祭を斎行する施設として祖霊殿があり、また、札幌市南区藤野の霊園「藤野聖山園」内には、納骨施設として神社で建てた奧津城(神道式のお墓)もあり、神道式での永代祭祀を執行している。
祭神

本殿では、豊玉姫命鵜葺草葺不合命譽田別命の三柱を「西野神社大神」として祀っており、境内の儀式殿内にある神殿でも、その西野神社大神の分霊を祀っている。三柱の祭神のうち豊玉姫命や鵜葺草葺不合命は、縁結び・安産・育児の神として有名で、氏子区域内外から広く信仰を集める。三柱目である譽田別命は八幡大神として信仰されていることから、西野神社は全国八幡宮連合にも加入している。
豊玉姫命(とよたまひめのみこと)
海の神である大綿津見神の娘で、元々は海の中の宮(いわゆる竜宮城)で暮らしていたが、海の宮を訪れた天津神日子穂穂手見命(山幸彦)と結婚し、3年間、日子穂穂手見命と海の宮で仲睦ましく生活した後、地上にて鵜葺草葺不合命を出産した。神武天皇(初代天皇)の祖母。主な神徳は縁結び、安産、開運厄除、海上安全など。
鵜葺草葺不合命(うがやふきあえずのみこと)
海辺に建てられた産屋で豊玉姫命が出産した、日子穂穂手見命の皇子。その産屋は鵜の羽で屋根が葺かれるはずであったが、全部葺き終わらないうちに急に豊玉姫命が産気づいてしまったことから、ウガヤフキアエズという名で呼ばれるようになった。神武天皇の父。豊玉姫命の妹の玉依毘売命に養育された。主な神徳は縁結び、安産、育児など。
譽田別命(ほんだわけのみこと)
第14代仲哀天皇神功皇后との間に生まれた皇子で、第15代応神天皇として即位。八幡大神の別称で全国的に広く知られる神で、特に中世から近世にかけては国家鎮護・戦勝・弓矢の神として、また源氏一門の氏神として、武家から格別な崇敬を受けた。主な神徳は必勝、厄除、武術、文学、裁縫、呉服など。
由緒・歴史

西野地域の開拓は、明治18年(1885年)、故郷から産土神を抱いて渡道した五戸の入植者達によって開始され、この五戸の人々が開拓の守護神として三柱を奉斎する小祠を当時の西野地域の中心とおぼしき所に建てたのが、西野神社の起こりとされる。

明治32年(1899年)1月、右股(現在の平和地区)、左股(現在の福井地区)、広島(現在の西野地区)の各集落の小祠を合祀して、西野全域統合の神社として社号を西野神社とする。同年2月、札幌神社北海道神宮の前身)の禰宜であった野村茂が、他の数社とともに西野神社の社掌(初代宮司)も兼務する。同年7月には、境内地として安井茂右衛門から300坪、安井岩五郎から150坪の寄付をそれぞれ受ける。

大正4年(1915年)、西野神社改築の認可を得て、翌5年に社殿が新築される。同年11月、境内地として久守五作から畑三反歩の寄付を受ける。

大正14年(1925年)12月、西野神社昇格願が内務大臣に提出され、昭和4年(1929年)1月、無格社から村社に列格される。同年7月、神饌幣帛料供進神社の指定を受け、同年8月には上手稲小学校前の神社用地(現在の西野福祉会館の地)に西野神社遥拝所が造営される。

昭和9年(1934年)、江別神社社掌を経て手稲神社社掌となった須浪仙太郎が、西野神社の社掌(2代目宮司)も兼務する。

昭和11年(1936年)11月、上川神社から手稲神社の社掌に転任した山口栄が、同時に西野神社の社掌(3代目宮司)と山口神社の社掌も兼務する。山口栄は戦後、上手稲神社と星置神社の宮司も兼務した。

昭和27年(1952年)4月に神社本庁から、翌28年2月には北海道庁から、それぞれ宗教法人西野神社規則が承認され、同年3月、西野神社の宗教法人設立の登記手続が完了。

昭和42年(1967年)、大正5年(1916年)に社殿が新築されてから50年が経ち社殿の老朽化が著しく進んでいたことから、半世紀ぶりに社殿が建て替えられる。同年、遥拝所が廃止。

昭和51年(1976年)、2代目社掌を務めた須浪仙太郎が、西野神社の神職として初めて社務所に常駐するようになり、これ以降は現在に至るまで、西野神社には神職が常勤している。これ以前は、神職ではない一般の人が、神社施設の管理人として家族とともに境内に常駐していた(神職ではない管理人がいつから常駐していたかについては正確な記録がないため不明)。

昭和53年(1978年)4月、3代目宮司 山口栄の退任に伴い、須浪仙太郎が宮司に再就任する。西野神社にとって、須浪仙太郎は第2代・第4代の宮司であるとともに、初の本務宮司でもある。なお、西野神社の兼務宮司を退任した山口栄は、平成2年8月まで手稲神社の本務宮司を務めた。

昭和57年(1982年)7月、神社前の市道 右股線道路拡幅工事施工のため、境内地の一部を札幌市に売却。

昭和58年(1983年)には、西野神社創祀百周年記念事業の一環として幣殿の造営、拝殿の増築、神饌所の増築、社殿屋根の銅板への葺き替え、回廊や欄干の増設など大規模な増改築が行われ、また、ほぼ同時期に社務所の新築、神札所・物置・渡り廊下の改築、ガレージの移設、手水舎改装等の工事なども行われたため、境内の様相が一新される。


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