西野朗
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西野彰」あるいは「西野陽」とは別人です。

西野 朗

日本代表監督時代(2018年)
名前
カタカナニシノ アキラ
ラテン文字NISHINO Akira
基本情報
国籍 日本
生年月日 (1955-04-07) 1955年4月7日(69歳)[1]
出身地埼玉県浦和市(現:さいたま市[1]
身長182cm
体重72kg
選手情報
ポジションMF
利き足右足
ユース
1971-1973埼玉県立浦和西高等学校
1974-1978早稲田大学
クラブ1
年クラブ出場(得点)
1978-1990日立製作所
代表歴
1974-1978[1] 日本12 (1)
監督歴
年チーム
1991-1992 日本 U-20
1994-1996 日本 U-23
1998-2001柏レイソル
2002-2011ガンバ大阪
2012ヴィッセル神戸
2014-2015名古屋グランパス
2018 日本
2019-2021 タイ
2019-2021 タイ U-23
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

西野 朗(にしの あきら、1955年4月7日 - )は、埼玉県浦和市(現:さいたま市)出身の元サッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションは主にミッドフィールダー(MF)。元日本代表。前日本代表監督、元タイ代表監督。2018 FIFAワールドカップでは日本代表を率いた。

J1リーグの監督として通算勝利数270は歴代1位[2]
来歴
選手時代

地元である大宮サッカー場に来る日本代表選手に憧れるサッカー少年だった[3]三菱ダイヤモンド・サッカーテレビ東京)の視聴者プレゼントに応募し、シューズをもらった経験があるという[4]

さいたま市立原山中学校を卒業後、1970年埼玉県立浦和西高等学校に入学。全国高等学校サッカー選手権大会ではベスト8進出。

1974年早稲田大学教育学部に入学。ア式蹴球部に所属し、在学中に日本代表に選出された。

1977年の夏、日本代表の選手がドイツのいくつかのクラブチームの練習に参加する分散合宿が行われ、西ドイツヘネス・バイスバイラーが、日本代表監督を務めた二宮寛と交流があったことから優秀な日本人選手を3人紹介するよう要請し、日本人初のプロ選手の候補として当時バイスバイラーが監督をしていたブンデスリーガ1FCケルンのテストを奥寺康彦金田喜稔と西野の3人で受けたとスカパー!YouTube公式チャンネル動画で明らかにされている[5]。この時、西野ら3人はそれがプロテストだとは知らされずに通常のトレーニングであると思いテストを受けていたという。最終的には奥寺と同じポジションのベルギー人の選手が退団することになり、奥寺がプロ第1号になったが、「選手として総合的には西野が最も良かった」と二宮は話している。また、奥寺は西野よりもフィジカルが優れていたと二宮は話した。

1978年日立製作所へ入社。人事部の女子採用係に配属され新人ながら求人票配りに行かされると、大学サッカーで人気選手だったこともあり女子が殺到したという[3]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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