西野文太郎
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西野 文太郎(にしの ぶんたろう、慶応元年9月9日1865年10月28日) - 1889年明治22年)2月11日)は、日本の不平士族、国粋主義者。森有礼の暗殺犯である。
経歴

長州藩士、西野義一の長男として山口に生まれる。山口黒城塾、山口中学校(現・山口県立山口高等学校)を卒業した後、三浦梧楼を頼って上京するが職が見つからず、一旦帰郷して山口県庁に就職した。東京では講道館に通い、本田増次郎の教え子だった[1]1886年(明治19年)、県庁を退職して再び上京し、山口黒城塾時代からの友人・玉井喜作が開いた私塾「東京速成学館」で総務と漢文教師を務める。しかし、東京速成学館はドイツ語を主に教える学校であり、その学生は西洋志向が強い者が多かったため、国粋主義思想が強い西野は生徒からの評判が悪く、まもなく西野は退職して内務省土木局に務めることとなった。なお、玉井もドイツ志向が強い人物であり、西野と思想は異にしていたが、特にそれで衝突するようなことはなく二人は親友であった。

1887年(明治20年)、文部大臣森有礼が伊勢神宮において不敬な態度をとった(伊勢神宮不敬事件。伊勢神宮に参拝した際、拝殿に掛かる布の簾をステッキで払い除けて中を覗いた[1])という報道が行なわれる。この事件については、事実ではないという説も強く真偽は不明であるが、当時伊勢神宮造営掛であった西野はこれを信じ、森を許せないと考えるようになった。こうして西野は、1889年(明治22年)2月11日、大日本帝国憲法発布式典の出席準備をしていた森を訪ね、出刃包丁でその腹部を刺すという犯行に及ぶ。森は出血多量で翌日死亡したが、西野もまたその場で森の護衛に台所まで追い詰められ、仕込み杖により斬られて死亡した。23歳であった。

暗殺の当日に所持していた斬奸状には、「天皇を頂く我が国の基礎を破壊し、我が国を亡滅に陥れようとした」などと記載されていた。

1889年(明治22年)2月25日付の『東京日日新聞』によれば、西野に対して無名で香典を贈る者や、葬送の際に霊前で祭文を読む者、西野の経歴や逸事を調べてまとめた物を販売し、その代金を西野の将来の祭祀料にしようと計画した者などがおり、民衆からはある程度人気を集めたとされる[2]
参考文献

岡田常三郎『刺客西野文太郎の伝』、書籍行商社、1889年

湯郷将和『キサク・タマイの冒険』、
新人物往来社、1989年、28-55頁

脚注^ a b 本田増次郎自叙伝「ある日本人コスモポリタンの物語」長谷川勝政、本田増次郎Web記念館 - ウェイバックマシン(2015年11月24日アーカイブ分)
^ 服部敏良『事典有名人の死亡診断 近代編』(吉川弘文館、2010年)312頁

外部リンク

刺客西野文太郎の伝
国立国会図書館「近代デジタルライブラリー」内

議事堂炎上 長谷川時雨

中川浩一, 西野文太郎殺害事件始末 : 森有礼刺傷とのかかわりにたって 茨城大学教育学部紀要 人文・社会科学 27号、p.29-35, 1978, .mw-parser-output cite.citation{font-style:inherit;word-wrap:break-word}.mw-parser-output .citation q{quotes:"\"""\"""'""'"}.mw-parser-output .citation.cs-ja1 q,.mw-parser-output .citation.cs-ja2 q{quotes:"「""」""『""』"}.mw-parser-output .citation:target{background-color:rgba(0,127,255,0.133)}.mw-parser-output .id-lock-free a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-free a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/6/65/Lock-green.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .id-lock-limited a,.mw-parser-output .id-lock-registration a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-limited a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-registration a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/d/d6/Lock-gray-alt-2.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .id-lock-subscription a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-subscription a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/a/aa/Lock-red-alt-2.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .cs1-ws-icon a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/4/4c/Wikisource-logo.svg")right 0.1em center/12px no-repeat}.mw-parser-output .cs1-code{color:inherit;background:inherit;border:none;padding:inherit}.mw-parser-output .cs1-hidden-error{display:none;color:#d33}.mw-parser-output .cs1-visible-error{color:#d33}.mw-parser-output .cs1-maint{display:none;color:#3a3;margin-left:0.3em}.mw-parser-output .cs1-format{font-size:95%}.mw-parser-output .cs1-kern-left{padding-left:0.2em}.mw-parser-output .cs1-kern-right{padding-right:0.2em}.mw-parser-output .citation .mw-selflink{font-weight:inherit}ISSN 0386765X


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