西郷輝彦
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さいごう てるひこ
西郷 輝彦
『映画情報』1965年6月号(国際情報社)より
本名今川 盛揮(いまがわ せいき)
生年月日 (1947-02-05) 1947年2月5日
没年月日 (2022-02-20) 2022年2月20日(75歳没)
出身地 日本鹿児島県鹿児島郡谷山町 
(現:鹿児島市
死没地 日本東京都
身長176 cm
血液型A型
職業シンガーソングライター
俳優
ジャンル映画
テレビドラマ
活動期間1964年 - 2022年
配偶者辺見マリ
1972年 - 1981年
一般女性
1990年 - 2022年
著名な家族辺見鑑孝(長男)
辺見えみり(長女)
今川宇宙(三女)
事務所龍美プロ
第一プロ→
誠和プロ
公式サイト ⇒西郷百歌店
主な作品
映画
あゝ予科練』/『狼よ落日を斬れ 風雲・激情篇 怒涛篇』
柳生一族の陰謀』/『赤穂城断絶』/『影の軍団 服部半蔵
大日本帝国 シンガポールへの道』/『小説吉田学校
空海』/『流転の海』/『動天』テレビドラマ
どてらい男』/『江戸を斬る』II - VI
あばれ八州御用旅』/『警部補 佃次郎』シリーズ
清水次郎長シリーズ』/『忠臣蔵』/『田原坂
独眼竜政宗』/『五稜郭』/『あばれ八州御用旅
武田信玄』/『葵 徳川三代
柳生十兵衛七番勝負』/『シロクマ園長 命の事件簿シリーズ』
徳川風雲録 八代将軍吉宗』/『報道ドラマ 生きろ ?戦場に残した伝言?
ノーサイド・ゲーム
竜の道 二つの顔の復讐者

 受賞
菊田一夫演劇賞
第15回(1989年) 演劇賞
『蘆火野』

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西郷 輝彦
別名三井礼二
我修院建吾
銀川晶子
五代けん
生誕 (1947-02-05) 1947年2月5日
出身地 日本鹿児島県鹿児島郡谷山町
(現:鹿児島市
死没 (2022-02-20) 2022年2月20日(75歳没)
日本東京都
学歴鹿児島市立鹿児島商業高等学校中退
ジャンル歌謡曲
職業シンガーソングライター俳優
活動期間1964年 - 2021年
レーベルクラウンレコード
公式サイト西郷輝彦のつぶやきblog

西郷 輝彦(さいごう てるひこ、1947年昭和22年〉2月5日 - 2022年令和4年〉2月20日)は、日本シンガーソングライター俳優タレント鹿児島県鹿児島郡谷山町(現:鹿児島市)出身[1]血液型はA型。

歌手としては、橋幸夫舟木一夫と共に昭和歌謡の「御三家」の1人として[注 1]人気を博した。芸名は維新の三傑の一人西郷隆盛にちなむ[1]
来歴

母親の実家は日向国飫肥藩家老職の家柄[2]で幼少の頃から芸事に傾倒し、小学生時代は剣舞や絵画を習ったり、近所の子供を集めては自身で作った紙芝居を披露したり、地元の慈眼寺公園でチャンバラごっこに明け暮れる少年だった。中学に入ると主としてスポーツに力を入れ、野球、テニス、バレーなど、あらゆるスポーツをそつなくこなす少年であった。背が高かったこともあり、他のクラブから試合への参加を頼まれることもあったとのことである。またジャズが好きだった兄の影響で音楽にも傾倒し、将来は歌手になりたいとの夢を抱いていた一方、石原裕次郎小林旭などダイヤモンドラインと言われた日活映画に憧れ映画俳優になりたいとの夢もあり、当時あった映画会社5社のニューフェイスに応募したが、結果は落選だった[3]

1962年に鹿児島商業高校中退後、鹿児島からヒッチハイクで大阪に行く。アルバイトサロンでボーイをしながら、かねてから下見をしていた有名なジャズ喫茶のオーディションを受けるも落選し、途方に暮れていたところを、審査員の口利きでゲーリー石黒とサンズ・オブ・ウエストのバンドボーイとなる。その後京都、名古屋などをぐるぐるまわりながら、バンドボーイ活動をしていたところを龍美プロに誘われ入社。

1964年2月、クラウンレコードより「君だけを」でデビュー。同曲は60万枚を売り上げ、デビュー曲にして大ヒットとなった[4]。「十七才のこの胸に」もヒットし、両曲でその年の第6回日本レコード大賞新人賞を獲得。同年「十七才のこの胸に」で映画デビュー。しかし事務所が解散し、東京第一プロダクション(現 第一プロ)へ移籍するも同社を退社した相澤秀禎マネージャーにより1965年にクラウンレコード、太平洋テレビなどと共同出資(西郷は50%)によって誠和プロを設立し、当面はクラウン・レコード宣伝部に事務所を置き、社長業を兼ねる。ビート歌謡曲歌手として大人気であっただけでなく多くの映画に主演し、1960年代を代表する青春スターであった。

自ら我修院建吾[注 2]のペンネームで雑誌『明星』に連載小説を書き、映画にもなった自作曲「傷だらけの天使」もヒットした。銀川晶子、五代けんも西郷自身の作詞作曲時のペンネームである。またデビュー当時のキャッチフレーズは「太陽の王子」であった。

1965年5月10日に鹿児島県体育館で行われた「西郷輝彦チャリティーショー」(帰郷ショー)では、12000人が会場に詰めかけた。観客が入場口に殺到し、整理の警察官1名が死亡、観客13名が負傷するという事故が起きている[6]

1966年に発売した「星のフラメンコ」は、30万枚を売り上げる大ヒットとなり[7]、いくつかの歌手によるカバーのほか、タモリ(曲名は「肉のフラメンコ」[7])やCMなどにパロディー化もされている(本人出演のテレビCMでのセルフパロディーもあった)。また、2008年には、フラメンコの本場であるスペイン出身の歌手・ライート(英語版)が自身のアルバムでカバーした[7]

1970年代に入り「真夏のあらし」(第12回日本レコード大賞作曲賞受賞曲)や「情熱」、「略奪」、「愛したいなら今」とロックポップス色を前面に出した曲が立て続けにヒットし、1971年2月には日生劇場でのロングラン公演を果たし大成功を収めた。

1973年、劇作家花登筺の誘いを受け、山善創業者・山本猛夫の半生を描いたテレビドラマ「どてらい男(ヤツ)」(関西テレビ制作・フジテレビ系)に山本をモデルとした「山下猛造」役で主演し、同番組は高視聴率を獲得し1977年までのロングランヒットとなる。これ以降歌手活動を一時縮小する。

1975年からは時代劇にも進出。特に国民的時代劇であるTBSナショナル劇場」の「水戸黄門第6部」の第1話にゲストとして出演したことがきっかけで、同枠の時代劇「江戸を斬る」の主演遠山金四郎役に抜擢された。同時代劇で京都映画祭新人賞を受賞。また第4シリーズの初回において最高視聴率36.7%を獲得するなどの人気シリーズとなり、俳優としての地位を確立した。またあらゆる面でその後の人生に大きな影響を与えた森繁久弥に師事し、舞台「暖簾」、「孤愁の岸」、「屋根の上のヴァイオリン弾き」などに出演する森繁ファミリーの一員でもあった。

NHK大河独眼竜政宗」の片倉景綱役や、時代劇「水戸黄門」(TBS系)の松平頼常役、「江戸を斬る」の遠山金四郎役など時代劇俳優として名を馳せたが、後年には現代劇の映画やドラマにも数多く出演。また、タレントとしてもバラエティ番組に出演するなど、活動の幅を広げていた。

1983年には自身がかねてから演じてみたいと切望していた田中角栄を、映画「小説吉田学校」で演じた(主演吉田茂は森繁が演じた)。また同年からは長寿クイズ番組である「アップダウンクイズ」(毎日放送制作・TBS系)の3代目司会者に就任した。

1994年、デビュー30周年を機に、「別れの条件」で歌手活動を再度本格化させた。

2000年10月からは橋幸夫、舟木一夫とともにG3K(御三家)ツアーとして、2001年12月まで全国100カ所以上においてコンサートを行い、好評を博した。

2003年、芸能生活40周年を記念したコンサートツアー「西郷輝彦 VICTORY」全国40公演を行う。

2005年よりブログを開設。当初は関西弁で書かれ更新されていたが、のちに普通の口調になっている。

2009年、デビュー45周年を迎え、1月20日には日比谷公会堂で昼夜2回の記念コンサートを開催。
私生活

1972年辺見マリ軽井沢で電撃結婚。二児(一男一女)をもうけたが1981年に性格の不一致を理由に離婚。離婚に至った発端は歌手、現代劇、時代劇で多忙を極めた活躍により自宅に帰るのは週に一度という生活だったと回想している。長男はミュージシャン・プロモーターの辺見鑑孝、長女はタレントの辺見えみり

1990年に自身の事務所に勤務していた19歳年下の女性と2度目の結婚。三児(三女)をもうけた。

2011年前立腺がんが判明し、全摘手術を行った[8]

2013年1月8日、娘のえみりが夫の松田賢二との間に第1子授かり、妊娠5カ月であることを発表した際、そのことに触れてマスコミに対し、喜びのコメントを寄せている。西郷にとって初孫となる。2013年6月8日、えみりが第一子である女児を出産する。娘夫婦から母子ともに健康で無事出産したことをメールで報告を受けた。

2013年より三女の今川宇宙(旧芸名、天川宇宙)がフリーモデルとして芸能活動を開始し、2016年より芸能事務所に所属。同年1月7日、BS日テレにて放送された「イチオシ 二泊三日の旅」『天橋立舞鶴…“海の京都”の絶景を 西郷輝彦父娘が巡る旅』でミスiD2015ファイナリストの今川と出演し、娘であることを明らかにした[9][10]

2017年11月に前立腺がんが再発し、2021年4月、ステージ4の去勢抵抗性前立腺がんと公表、がんが骨にも転移していたことも明らかにしている。このため医師からは緩和医療を勧められたが、国内未承認の最先端治療を受けるためオーストラリア・シドニーに渡った[8][11][12]。渡航に前後してYouTubeを開設し、同年8月には現地から日本テレビ系『24時間テレビ 「愛は地球を救う」』に出演して病状などを伝える[8][11]など、本格的な活動復帰を目指していたが、2022年2月20日午前9時41分、前立腺がんのため、東京都内の病院で死去[13]。75歳没。訃報は翌21日、所属事務所であったサンミュージックが公表した[14]
人物

芸名の「西郷」は尊敬する郷土の英雄・「大西郷」こと西郷隆盛にちなむ。

1987年年末時代劇スペシャル田原坂」(日本テレビ系)では「小西郷」こと西郷従道役を演じた。2008年新春に放送された「南洲翁異聞」(鹿児島テレビ放送開局40周年記念ドラマ)で、ついに念願の西郷隆盛役を演ずることになった。


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