西部戦線_(南北戦争)
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西部戦線概観 (1861年–1865年)

南北戦争の西部戦線(せいぶせんせん、英:Western Theater of the American Civil War)は、アメリカ合衆国ミシシッピ川から東、アパラチア山脈から西の地域で北軍と南軍が激突した戦線である。東部戦線とは地理的懸隔もあってやや独立した動きとなっていたが、戦争(1861年-1865年)の後半は東部との連係が重要な課題となった。
概要

西部戦線の戦場は地理的なことと作戦の流れで定義される地域である。当初はミシシッピ川から東、アパラチア山脈から西の地域で表された。メキシコ湾岸や東海岸での作戦は除外されていたが、1864年から1865年にかけて、ウィリアム・シャーマンの指揮する北軍がテネシー州チャタヌーガから南東に動き、ジョージア州や両カロライナ州の領域まで拡がった。この領域よりも南西での作戦については、ミシシッピ川流域戦線で概説する。

西部戦線は南北戦争の戦線の中でもある意味で最も重要なものになった。南軍は限られた資源で広大な地域を防衛することを強いられ、北軍は南部の農業の中心地に直接繋がる川を辿って複数の経路から進入した。ミシシッピ川を支配することは、北軍のウィンフィールド・スコット将軍が提唱するアナコンダ計画の中でも重要な鍵であった。バージニアの戦線は遙かに栄誉を重んじる戦場である。...しかし、戦争の行方はそこで決まったのではなく、アパラチア山脈からミシシッピ川まで拡がる広大な大地、そしてさらに川の向こうで決まった。西部戦線は真に決定的な戦闘が戦われた。スティーブン・ウッドワース、「ジェファーソン・デイヴィスとその将軍達」[1]

東部戦線は当時もその後の歴史的な整理の段階でも、西部戦線よりかなり多くの注目を集めた。これはその対立する両軍の主要都市が近く東部の大都市に大きな新聞の発行所が集中しており、ロバート・E・リー将軍やストーンウォール・ジャクソン将軍のような東部で名声を博した人物がいたからでもある。このために北軍が西部で南軍を叩き、南部の領土を侵略していったことは、ほとんど気付かれないままであった。

軍事面の歴史家J. F. C.フラーは西部戦線を表現して、車の左の車輪がケンタッキー州に始まり、ミシシッピ川を下り、続いてテネシー州を通って東にジョージア州や両カロライナ州に至る大きな回転運動であるとした。チカマウガの戦いや騎兵あるいはゲリラによる幾つかの大胆な襲撃は例外として、西部戦線での4年間はほとんど南軍が負け続けたことが特徴である。戦術的には引き分けても戦略的には後退であった。この戦線で成功した北軍の将軍達、ユリシーズ・グラントジョージ・ヘンリー・トーマスウィリアム・シャーマンおよびフィリップ・シェリダンは常に南軍の対抗者を凌ぎ続けた(例外といえば南軍の騎兵指揮官ネイサン・ベッドフォード・フォレストくらいだろう)。

アメリカ合衆国国立公園局(NPS)によって作られた作戦の分類では[2]、本稿で使うものよりも詳細になっている。NPS分類の小さなものは省略するか、大きな作戦の中に組み込んだ。NPS分類にある東部戦線での117の戦闘のうちほんの幾つかを記述することになる。
西部戦線の主要指揮官

中将
ユリシーズ・グラント、北軍

少将
ヘンリー・ハレック、北軍

少将
ウィリアム・シャーマン, 北軍

少将
ジョージ・ヘンリー・トーマス、北軍

少将
ドン・カルロス・ビューエル、北軍

少将
ウィリアム・ローズクランズ、北軍

将軍
アルバート・ジョンストン、南軍

将軍
P・G・T・ボーリガード、南軍

将軍
ジョセフ・ジョンストン、南軍

将軍
ブラクストン・ブラッグ、南軍

中将
ジョン・ベル・フッド、南軍

中将
ネイサン・ベッドフォード・フォレスト、南軍

初期の作戦(1861年6月-1862年1月)ベルモント(1861年11月)からシャイロー(1862年4月)まで

西部戦線の初期は2つの州、ミズーリ州とケンタッキー州に焦点が置かれた。どちらを失ったとしても北軍にとって重大な足かせになるはずだった。1861年6月にナサニエル・ライアン大尉がブーンビルの戦いで勝利したことが大きく、ミズーリ州は北軍が確保した。ケンタッキー州の場合、南軍寄りの知事と北軍寄りの議会という事情もあり、中立を宣言していた。この中立は、9月3日に南軍のレオニダス・ポーク少将がケンタッキー州コロンバスを占領したことでまず破られた。コロンバスはミシシッピ川下流を抑えるための要衝と考えられた。その2日後に北軍のユリシーズ・グラント准将がその後の軍歴を特徴づけるような個人的独創性を発揮して、パデューカを占領した。この時点からは両軍ともケンタッキー州の中立を尊重しなくなった。この事件の流れは、ケンタッキー州が公式に南軍に付くことが無かったことと、もし北軍がケンタッキー州内での作戦行動ができなければその後のテネシー州での成功はもっと難しいものになったであろうことを考えれば、北軍の勝利と考えられる。

南軍の側では、アルバート・ジョンストン将軍がアーカンソー州からの全軍を指揮し、カンバーランド地峡に進軍した。ジョンストン軍は数的に劣勢な軍隊で広い前線を守るという難題に直面したが、横の連絡を取り合う優れた仕組みがあったので、その軍隊を必要な所へ素早く動かすことができた。またポークとウィリアム・J・ハーディという二人の有能な部下の将軍がいた。また、ラッセルビル会議で設定された南部の新しい州都ボウリング・グリーンを通じて、ケンタッキー州中部と西部の郡にいる連邦脱退支持者からの政治的な支援もあった。


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