西遊記II
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原作については「西遊記」を、その他の用法については「西遊記 (曖昧さ回避)」をご覧ください。

『西遊記』(さいゆうき)は、日本テレビ国際放映制作のテレビドラマ。1978年から1980年まで、下記の2シリーズが断続的に制作・放送された。

『西遊記』(1978年10月1日 - 1979年4月8日、全27回〈本編26話、総集編1回〉)

『西遊記II』(1979年11月11日 - 1980年5月4日、全26回)

概要

石から生まれた猿・孫悟空の生い立ちに始まり、天界から追放されて500年後、三蔵法師沙悟浄猪八戒との出会いを経て、天竺への取経の旅中に遭遇するさまざまな厄難と、それに伴う三蔵一行の絆や成長を描く1時間の連続特撮ドラマ。特撮は『西遊記』では円谷プロダクションが、『西遊記II』では東宝映像が協力した。

タイトルの通り、中国で16世紀前後に書かれた古典小説『西遊記』を題材としたテレビドラマシリーズで、放送時間は2シリーズとも毎週日曜20:00 - 20:54(JST)。芥川隆行が各話の結びで語る「それはまた次回の講釈で」は原作の文言をもじったものであるが、各回の大半の内容は『西遊記』や『平妖伝』などの複数の古典から翻案した、本作品オリジナルのものとなっている。

短気だが明るく人情味あふれる悟空、心美しく3人の弟子の良き指南役である三蔵、ひょうひょうとした悟浄、大喰いで女性に滅法弱いが愛嬌のある八戒などの演者の個性に合わせたキャラクター設定と、軽妙な掛け合いが人気を博した。

本作品では、本来男性である三蔵法師を女性の夏目が演じることで、高貴で中性的な三蔵法師像を演出した。本作品での強烈な印象から、これ以降リメイクされた全ての『西遊記』のドラマで、三蔵法師役は女優が演じるというパターンが踏襲されている。他方で、主に低年齢層の視聴者を中心として、三蔵法師が女性だと勘違いした、あるいは本作品において三蔵法師は女性と設定されていると勘違いした視聴者もいた[注 1][注 2]

後述の通り、国内・国外にて何度も再放送が行われ、音楽を担当したゴダイゴの楽曲とともに人気を博した。英語歌詞のバージョンも採用されたことで、ポップでキャッチーな印象を与えただけでなく、本作品の海外での評価にも繋がった[要出典]。
『西遊記』

西遊記
ジャンル
テレビドラマ
企画早川恒夫
脚本佐々木守ほか
監督渡邉祐介ほか
高野宏一ほか(特撮)
出演者堺正章
夏目雅子
岸部シロー
西田敏行
ナレーター芥川隆行
音楽ミッキー吉野
オープニングゴダイゴMonkey Magic
エンディングゴダイゴ「ガンダーラ
国・地域 中国
言語日本語
製作
プロデューサー山田宗雄
長富忠裕
編集平木康雄
制作日本テレビ
国際放映

放送
放送チャンネル日本テレビ系列
放送国・地域 日本
放送期間1978年10月1日 - 1979年4月8日
放送時間日曜日20:00 - 20:54
放送枠日本テレビ日曜8時連続ドラマ
放送分54分
回数27回
特記事項:
放送回数のうち本編26話、総集編1回。
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概要(西遊記)

日本テレビ開局25年記念番組として企画・制作された[1]1978年日中平和友好条約が調印された年であり、当時としては画期的な中国ロケが中央広播事業局(現在の国家広播電視総局)による協力のもとで行われた。前年の1977年10月からTBSでコメディ人形劇『飛べ!孫悟空』が始まっていたうえ、1978年4月からフジテレビでアニメ『SF西遊記スタージンガー』が始まっていた[注 3]こともあり、子供層を中心に『西遊記』に関心が集まっていたこの年は、いわば『西遊記』にまつわる企画が多かった年でもあった。

日本テレビは、本作品の5年前に開局20年記念番組として『水滸伝』を放送しており、『水滸』に続く中国古典ということで『西遊記』のドラマ化が企画された。放送枠は、大河ドラマNHK)と同じ日曜20時台であり、ひけをとらないようにと当時の金額で10億円の予算が投じられた[1]。後年、DVD-BOXの特典映像では、岸部シローが「記念番組ということでギャラが普通のドラマよりも少し割り増しだった」と回想している。

映画監督の内藤誠によれば、もともとは若山富三郎が映画として企画したものであり、悟空は若山、三蔵法師は坂東玉三郎、八戒は高見山大五郎、沙悟浄は仲代達矢が考えられていたという[2]。当初、三蔵法師役は坂東玉三郎にオファーするも即断で断られ、そのために思い切って女優の男役というアイデアになったという話は堺正章なども語っている[3][4]

最終回は「到着したのはニセ天竺だった」という展開であり、再び天竺への旅を開始するところで終わっている。この展開は「天竺はたやすくたどり着けるような場所ではない」ということを示すためのもので、この段階では続編製作の予定はない。

2006年9月27日に『西遊記 DVD-BOX 1』、同年11月22日に『同 DVD-BOX 2』が発売された。イギリスでは英語版DVDがリリースされている。
視聴率

平均視聴率は約19.5パーセント。最高視聴率は最終回の27.4パーセント。

国民的人気を誇っていた大河ドラマの裏番組だったが、最終回で27.4パーセントを記録したのは当時としては異例であった。同日のNHK大河ドラマ『草燃える』の視聴率は27.6パーセントであり、ほぼ同じ数字を記録している。
日本国外での反響

1979年11月から翌年の2月まで、毎週金曜18時台にイギリスBBCで英語吹き替え版が放送された。その後英語版はオーストラリアニュージーランド香港でも放送されている。英語版では、タイトルが『Monkey 』とされ、悟空がモンキー、八戒がピグシー、悟淨がサンディ、三蔵はトリピタカ[注 4]と呼ばれている。

日本国外でのドラマの人気も非常に高く(日本同様に)、1970年代のカルト的ドラマとなった。BBCが英語吹き替えの声優陣も個性的なベテランで堅めたことが英語圏での成功につながったと見られ、イギリスやオーストラリアなどでは現在もこの声優陣が日本のキャスト同様にファンからは愛されている[5]

特に初回放送時は子供たちの圧倒的な支持を得て、ファンレターは日本にまで届けられた。一方、昔のBBCにおける放送形態として、いくつかのエピソードを飛ばして放送されており、これらは長らく欠番となっていた。後に日本に先駆けてBBC版がDVD化されたことで、これらのエピソードは補完されるが、その際に一部のエピソードは旧声優陣によりアフレコが行われた[注 5]

中国の中央電視台でも放送されたが、原作とかけ離れすぎだという批判が官民から上がり、3話で放送中止になっている[6]
制作裏話

赤坂プリンスホテルで行われた番組制作発表の記者会見では、キャストが勢ぞろいし、三蔵役に決まった夏目雅子の断髪式のポーズで写真をとったが実際には髪を切らず、一目でわかる通り作中では帽子ないしカツラを使用した。

撮影の休憩中でも出演者である堺・西田・岸部・夏目の4人は常に共に行動していた。しかし、夏目以外の男性陣3人は、どうにかして夏目と2人きりになろうと互いに抜け駆けを企みそれを阻もうと帯同し常に牽制しあっていて本番より緊張感があったという。また、我先に夏目に食事をおごろうとしたり、着替えてる時間を惜しみ、その間に自分を差し置いて食事に出てしまうかも知れないという疑念も生まれ、いつも撮影の衣装のままで外に出ていたという。

堺・西田・岸部の3人が酒の席で知り合った女性の家に行った際に、タイミング悪くその女性の恋人が帰ってきてしまったため、堺と岸部は偶然その時風呂を借りていた西田を置き去りにして逃げ出した(2008年5月22日放送の『うたばん』にて堺により詳細が話され、恋人に見つかり、2人はなんとか誤魔化したが、西田は風呂場で見つかり追い出されたという。

キャストは皆それぞれ岸部のことを「河童」、西田を「豚」、堺は「猿」と呼びあっていたが、夏目だけは「坊主」の他「夏目さん」「雅子ちゃん」と呼んでいた。

多忙だったキャストは、堺正章の部屋で昼休みに点滴で栄養剤を入れて疲労回復を図った。堺、西田、岸部の3人は「日本点滴会」と称し、堺が会長、西田が副会長だった。

撮影のロケ地にはトイレがなくて困ったこともあったという。また堺正章は夏目雅子の体調[注 6]を考慮して自費でキャンピングカーを購入し、そのトイレを彼女はロケでは利用した。このキャンピングカーは、俳優が全員乗って朝早くからロケの移動にも使用された。

第20話「猛吹雪! 三蔵狂乱」の撮影前、西田敏行は夏目雅子に福島弁(東北弁)を個人レッスンした。愛らしい彼女と二人っきりでとっても幸せな時間だったと西田は回想している。

撮影時の衣装は、孫悟空用が上から下まですべて皮で200万円、ウール中心の八戒用と、木綿でまとめた三蔵用・沙悟浄用はいずれも100万円で、当時のお金で計500万円かかっている。またメイク時間は、カツラのある夏目雅子が2時間、豚耳のある西田敏行が40分、堺正章が30分。そして岸部はただかぶるだけなので15分だった[7]

ドラマパートはすべて日本で撮影され、基本的に関東の近辺、当時ほかのドラマ作品でも使われていた撮影場所で撮影されていた。主なロケ地は千葉県鋸山か静岡県御殿場、セットは東京世田谷(国際放映撮影所)などが挙げられる。

以上出典の大部分はDVD発売時特典映像の座談会で確認できる。
特撮

高野宏一鈴木清ら円谷プロダクション出身のスタッフが特撮を担当した[1]。『スターウルフ』の制作を終えた佐川和夫も特撮監督として参加している。

オープニングで繰り返される「石猿の誕生」シーンはわずか60秒だが、撮影に2か月間、制作費は1500万円かかっている。飛び出すシーンと、顔のアップは別撮りである。飛び出すシーンではスタントマン・二家本辰己が猿の着ぐるみを着て、ピアノ線で引っ張られている。顔のアップシーンでは、堺正章に3時間かけて毛を植える特殊メイクを施し、「おぎゃー」というだけの5秒ワンテイクであった。

第2話に登場した白竜は原寸大の30メートルのモデルを製作し、3メートルと90センチと30センチのミニチュアモデルも加えて、合計で850万円の製作費をかけた[8][9]

音楽

企画段階では、音楽担当には冨田勲の起用が想定されていた(NHKラジオの『ラジオ深夜便』でのタケカワユキヒデの回想談による[信頼性要検証])が、実際の番組制作においては作曲をミッキー吉野が、演奏と歌唱をゴダイゴが手掛けている。使用曲はゴダイゴのアルバム『MAGIC MONKEY(西遊記)』にまとめられており、同アルバムの冒頭には「Monkey Magic」が、オープニングのナレーションのバックに流れるインストルメンタル曲と合わせて1トラックの「THE BIRTH OF THE ODYSSEY?MONKEY MAGIC」として収録されている。

純粋なサントラ盤ではなく、あくまでゴダイゴのアルバムという位置づけから、全曲英語ボーカル入りで「THE BIRTH OF THE ODYSSEY」以外のインストゥルメンタル曲、日本語歌詞版の「ガンダーラ」、堺正章の持ち歌である挿入歌「SONGOKU」など4曲[注 7]の楽曲は未収録である。本作品の放映期間中に発売されたので、『西遊記II』の主題歌「ホーリー&ブライト」は未収録である。ドラマの大ヒットも受け、オリコンの年間アルバムチャートで1位に輝いた。詳細は「西遊記 (サウンドトラック)」を参照

しみじみとしたシーンでかかるバラード(インストゥルメンタルを含む)もファンの心を捕らえたが、もともとこの曲はゴダイゴがこれ以前に音楽を手がけた映画『キタキツネ物語』のために用意した楽曲であった。タケカワユキヒデが唄う英語バージョンのタイトルは「THANK YOU, BABY」といい、『MAGIC MONKEY(西遊記)』ほかゴダイゴのベスト盤に収録されている。堺正章が唄うこの歌の日本語バージョンのタイトルは「この道の果てまでも」で、堺正章のシングルまたは『しんぐるこれくしょん』に収録されている。堺版は、第11話「昼と夜の妖怪夫婦」、第15話「鳥葬!悪魔の生贄」などで使用された。

第15話「鳥葬!悪魔の生贄」では、堺正章のもう一つの挿入歌である「今では遅すぎる」も孫悟空が破門されるシーンで使用された。本作品と同じく日本テレビにて放送され、ミッキー吉野も音楽を担当した子供向け特撮番組『小さなスーパーマン ガンバロン』からも、ジングルなどが流用されている(本作品のサブタイトルブリッジは、『ガンバロン』の主題歌の一節)。

ゲスト出演者が極端に少ない第15、16話では、エンディングに「ガンダーラ」1番の歌詞が表示され、それが終わってから出演者・スタッフのクレジット表記が行われる形式となっている。
豆知識

泉じゅん加山麗子飛鳥裕子小川亜佐美倉吉朝子ら、日活ロマンポルノに出演していた女優もゲストに起用されている。また緑魔子児島美ゆき池波志乃渡辺やよいらもゲスト出演した。

堺が孫悟空を演じたのは本作品が初めてではなく、前年のファミリーミュージカル『マチャアキのそんごくうの大冒険』で孫悟空を演じていた。その時、三蔵を演じていたのは女性歌手の堀江美都子だった。

最初に『西遊記』という題名が出るメインタイトル部分では、タイトルが消えたあとも「Monkey Magic」のインストゥルメンタルが流れ続け、その画面にスポンサークレジットが表示されていた(『西遊記II』も同様)。再放送やDVDではその部分がカットされているが、1985年ごろの日本テレビほかの再放送では、その部分に再放送時のスポンサークレジットが表示されていた。また、広島テレビでの再放送は、時期によりスポンサークレジットを空欄にしてメインタイトルを流したことがある(ブルーバックでロゴのみ表示した時期もあった)。


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