西遊記
[Wikipedia|▼Menu]
.mw-parser-output .hatnote{margin:0.5em 0;padding:3px 2em;background-color:transparent;border-bottom:1px solid #a2a9b1;font-size:90%}

この項目では、中国の白話小説について説明しています。その他の用法については「西遊記 (曖昧さ回避)」をご覧ください。
『西遊記』の登場人物を描いた絵画(頤和園)。京劇の『西遊記』。

西遊記

中国語
繁体字 西遊記
簡体字 西游?

発音記号
標準中国語
漢語?音X? You Ji
ウェード式Hsi-yu chi
IPA[?í jǒ? t?î]
注音符号????????
呉語
ローマ字Si yo? dz?
粤語
粤?sai1 jau? gei3
?南語
台湾語ローマ字Se iu ki

朝鮮語
ハングル???
漢字西遊記
ベトナム語
ベトナム語Tay du ky
ハンノム西遊記
タイ語
タイ語??????

『西遊記』(さいゆうき、繁体字: 西遊記; 簡体字: 西游?; ?音: X? You Ji; ウェード式: Hsi-yu chi; 粤?: sai1 jau? gei3、タイ語: ??????、ベトナム語: Tay du ky)は、中国16世紀の時代に大成した白話小説で、唐僧・三蔵法師が白馬・玉龍に乗って三神仙(神通力を持った仙人)、孫悟空猪八戒沙悟浄を供に従え、幾多の苦難を乗り越え天竺へ取経を目指す物語、全100回。中国四大奇書に数えられる。著者は、『淮安府志』(天啓年間成立)に、呉承恩1504年頃 - 1582年頃、江南省出身)の著書として「西遊記」という書名が記述されていることから、彼が作者であると20世紀の中国では定説化していたが、批判的な説が存在し、明確な結論は出ていない。詳しくは後述(#原作者の謎)。

『西遊記』の流行を受けて、明代から清代にかけ呉元泰、呉政泰と余象斗が、仏教道教に関わる戯曲・雑劇と神話伝説に基づいて編纂したのが『東遊記』・『南遊記』・『北遊記』で『四遊記』と称される。
概要

の時代に中国からインドへ渡り仏教経典を持ち帰った玄奘三蔵の長年の旅を記した地誌『大唐西域記』を基に、道教仏教の天界に仙界、神やや妖怪や仙人など、虚実が入り乱れる一大白話小説であり、物語の縦軸に玄奘三蔵の波乱の人生を、横軸に無敵の仙猿・孫悟空の活躍を置き、玄奘三蔵一行が天竺を目指し取経を果たすまでを描いている。

『西遊記』には人間の登場人物として玄奘三蔵や唐の太宗皇帝など実在の人物が顔を並べるが、書かれている内容は完全にフィクションであり、史実とは一致しない。 また、『西遊記』を映像化・舞台化する場合には主要な登場人物が男性のみとなってしまうことから、日本では、中心人物の一人である三蔵法師役には男性ではなく、たびたび女性が当てられる。
成立
唐三蔵西天取経伝説敦煌の洞窟に残された9世紀頃の壁画

現実の玄奘三蔵の取経の旅は西暦629年から645年に行われた。その事績が仏教徒の間で伝説化し神聖視された痕跡が各地に残されている。

敦煌莫高窟から発見された絹本、紙本の絵画及び壁画(9世紀から11世紀半ば)には、経巻を背負い虎を伴った徒歩の行脚僧の描かれたものがあり、伝説化した玄奘とする説がある。これらの中には宝勝如来を上隅に描き入れているものがあり、「寳勝如來一?」と書き入れられたものもあることからこの取経者は宝勝如来に保護され、また宝勝如来と同一視されたと推定される。

莫高窟東方約 100 km の楡林窟、その更に東方約 30 km の東千仏洞の水月観音図、普賢変図(12世紀後半、西夏末)に含まれる玄奘取経図に描かれた玄奘は猴(マカカ属のサル)と馬を伴っており、また張世南『游宦紀聞』(1228年)所収の張聖者の詩(北宋末から南宋初、12世紀前半と推定される)には「幾生三藏往西天」「苦海波中猴行復」「沈毛江上馬馳前」の字句が見え、12世紀には玄奘の取経伝説には猴と馬が取り込まれていたことが分かる。1237年に建立された福建省泉州の開元寺の仁壽塔(西塔)第四層南面には「梁武帝」に向き合って経文を捧げる「唐三藏」、東北面には刀を手にした猴行者と金箍棒を手にした「東海火龍之太子」の浮き彫りがあり、それぞれ「」内の文字が銘文にある(猴行者は銘文無し)。
西遊記の成立詳細は「西遊記の成立史」を参照金陵世コ堂版西遊記

宋代には原型となる説話「大唐三蔵取經詩話」(三蔵が猴行者[注 1] を連れ取経の旅をする)が存在していた。西遊記でいま残っている最古のものは元代の西遊記の逸話を収録したとみられる朝鮮の書『朴通事諺解』(1677年)によるものである。写本科挙を目指す書生たちが息抜きに作成していったと思われ、書き写されるたびに詩文・書き込みが追加され、拡張され、また、戯曲雑劇「西遊雑劇」として好んで上演された。

明代には多数の西遊記版本があった。代表的なものは『西遊記傳』(楊至和本)、『唐三藏西遊傳』(朱鼎臣本)など三種のうちその最も膨らんだ姿が、万暦20年(1592年金陵世徳堂の刊行した『新刻出像官板大字西遊記』(作者名なし 通称は世徳堂本)である。

明末期になると、蘇州刊本『李卓先生批評西遊記』があり、内閣文庫に収蔵されているが、むろん卓吾の名は他の小説本と同様に、刊行元が価値をつけるために勝手に付けられたものである。本文は世徳堂本とほぼ同じである。

この版での全訳が、中野美代子訳 『西遊記』(岩波文庫全10巻)である[注 2]

これらは(繁本版にはが多数入っているので)分量が多すぎたとみられ、清代には商業ベースを考慮したダイジェスト(簡本)が『西遊証道書』[注 3]をはじめ、多くの版が刊行されたが、それらの内容を比較するとそれぞれ一長一短であるが、最もバランスよく整理されているのが、やや大部の簡本で康熙33年(1694年)刊行の『西遊真詮』である。この版での訳書が、太田辰夫鳥居久靖訳 『西遊記』(平凡社[注 4] である。
原作者の謎

前述のとおり、清代には、作者は長春真人丘処機と信じられており、ティモシー・リチャード[注 5] による初の英訳本(上海・1919年刊行)においても、作者名は丘長春とされていた。

呉承恩作者説は、魯迅『中国小説史略』(1924年、訳書は平凡社東洋文庫全2巻)や「中国小説的歴史的変遷」などで提唱したもので、比較的新しい説である。それ以降、呉承恩が作者として扱われることが多いが、証拠はない。

日本では太田辰夫や中野美代子が、研究によりこの説を否定[注 6] しており、『世界文学事典』(集英社)でも、「小説『西遊記』の版本に、呉承恩の名前や別号を記したものがないため、呉承恩の『西遊記』が、小説の西天取経物語を指すのか、あるいはその戯曲、あるいは全く別の紀行文を指すのか、現在まだ定説はない」、「(呉承恩は西遊記の)最大限改編者であり得ても、<作者>ではない」と書かれている。日本訳では、現行の平凡社版(太田・鳥居訳)でも、岩波文庫版(中野美代子訳)でも原作者名は記載されていないが、福音館書店版(君島久子 校訂/リライト[注 7])など、呉承恩作と記載されている出版物も少なくなく、呉承恩作者説は未だ一般に広く流布している。21世紀に入った今日まで、西遊記の作者が誰なのかは決定的な確説は出ていない。
主要登場キャラクター西游真詮 ?像6 孫行者(孫悟空)西游真詮 ?像7 猪八戒西游真詮 ?像8 沙僧(沙悟浄)西游真詮 ?像5 唐僧(三蔵法師)
孫悟空(そん ごくう)
“悟空”は仙術の師匠・須菩提祖師からもらった法号であるため、「実名敬避俗」(参照)に準じ“孫行者”と呼ばれる。孫悟空の孫は猿の昔の呼び方である「??」から来ている(“?”は「」という縁起が悪いため、子と系で釣り合いの良い“?”の獣偏を取った“孫”を名前に取り入れ、悟空は十番目の弟子だったため“穎悟円覚”の悟の字から取り入れた)。はじめの通称は「美猴王」(びこうおう)、天界時の自称は「斉天大聖」(せいてんたいせい)。天界の乗っ取りを目論み下界の妖怪を引き連れて反乱を起こすが、釈迦如来の策で五行山に五百年間拘束される。罪を償うべく三蔵の弟子として同行し、妖魔を下して取経の旅を支えた。西域に帰還の後、成仏して闘戦勝仏となっていた。
猪八戒(ちょ はっかい)
“八戒”は「実名敬避俗」に準じた通称であり、観音菩薩からもらった法号は「猪悟能」(ちょごのう)。天界から地上へと落とされた際、雌豚の胎内に入ってしまったため、容姿が豚となってしまう。天界時の官職は北極紫微大帝の配下・「天蓬元帥」(てんぽうげんすい)。転生後は福梁山で悪事を重ね、高老荘で翠蘭という人間の女と結婚していたが、先んじて三蔵に同行していた悟空と一騎討ちをしたのち旅に加わった。西域に帰還の後、「浄壇使者」(じょうだんししゃ)となった。
沙悟浄(さ ごじょう)
“悟浄”は観音菩薩からもらった法号であるため、「実名敬避俗」に準じ“沙和尚”と呼ばれる。悟空と八戒との間を取り持つ役。天界から流沙河に追放され、そこで人を襲う妖怪となり、赤い髪に青黒い肌となった。川に住む妖怪から、日本では河童の姿で表現される。天界時の官職は「捲簾大将」(けんれんたいしょう)。西域に帰還の後、「金身羅漢」(こんしんらかん)の位を与えられた。
三蔵法師(さんぞうほうし)
俗名は陳江流[注 8]。三蔵法師は尊称、法名は「玄奘三蔵」(げんじょうさんぞう)。この人物には実在のモデルがいるが、劇中の内容は史実とは全く異なる。生まれる前に父を殺され[注 9]、母を奪われて、生まれてすぐに川に流されるが、金山寺[注 10] で拾われ、ずっとそこで育てられる。観音菩薩の命を受けて天竺へと取経の旅へ遣わされる。その際、太宗皇帝と義兄弟となった。前世で天界にいた時は釈迦の第二の弟子、「金蝉子」(こんぜんし)であったが、仏法を軽んじたため下界に落とされた。西域に帰還の後、「旃檀功徳仏」(せんだんくどくぶつ)という仏となった。
玉龍(ぎょくりゅう)
四海龍王の一人・西海龍王敖閏の第3太子であり三蔵が乗っている馬に化身している。西域に帰還の後、「八部天竜」(はちぶてんりゅう)という位を与えられた。
釈迦如来(しゃかにょらい)
西方の霊山大雷音寺に住み、天帝の依頼で孫悟空を退治した。天界で暴れ、強者こそが尊いとして天帝に位を譲れという孫悟空を痛罵し、その力を見せてみよと挑発した。如来の右の手のひらから飛び出せるか賭けをすることになり、悟空は?斗雲(きんとうん)で飛び去るが、はたして最果ての天の柱は如来の指であった。まやかしの術だと抗弁しもう一度飛び出そうとしていた悟空を手で打ち据え、押さえつけて、五行山に閉じ込めて封印してしまう。
観世音菩薩(かんぜおんぼさつ)
鳩摩羅什による訳語、観世音菩薩がの二代目皇帝李世民の名“世”から避諱により唐時代の中国では観音菩薩。玄奘三蔵の訳では観自在菩薩。落伽山に住んでいる。悟空が逃げないように、老婆の姿になって三蔵に緊箍児(僧頭巾)と、緊箍呪(定心真言)を教えた。
??太子(なた たいし)
天界軍を指揮する托塔李天王の息子。 生まれながら両手の裏に『?』と『?』の字がいる。孫悟空を討伐しに行く時、玉皇大帝に『三壇海摩会大神』の神号を与えられた。三面六臂の神通を使い、斬妖剣・?妖刀・縛妖索・降妖杵・綉毬・火輪という六種の武器で戦う。更にその武器を幾千万の数に変化し、兵器の雨みたいに相手を攻撃することができる。『封神演義』では出身が一般的なナタの神話と異なり、神ではない存在になっているが、主役級のキャラクターとしてかなりの活躍をしており火尖槍や風火輪などを使う仙家の強者である。
顕聖二郎真君(けんせいじろうしんくん)
天界を治める最高神である玉帝の妹の子。孫悟空と同じく法天相地の神通を使える神。悟空が天界に対して反乱を起こした際に六兄弟と共に悟空を捕えることに成功する。『封神演義』では楊?と呼ばれている人間の道士がいて、?.mw-parser-output .jis2004font{font-family:"源ノ角ゴシック JP Normal","源ノ角ゴシック JP","Source Han Sans Normal","Source Han Sans","NotoSansJP-DemiLight","Noto Sans CJK JP DemiLight","ヒラギノ角ゴ ProN W3","ヒラギノ角ゴ ProN","Hiragino Kaku Gothic ProN","メイリオ",Meiryo,"新ゴ Pr6N R","A-OTF 新ゴ Pr6N R","小塚ゴシック Pr6N M","IPAexゴシック","Takaoゴシック","XANO明朝U32","XANO明朝","和田研中丸ゴシック2004絵文字","和田研中丸ゴシック2004ARIB","和田研中丸ゴシック2004P4","和田研細丸ゴシック2004絵文字","和田研細丸ゴシック2004ARIB","和田研細丸ゴシック2004P4","和田研細丸ゴシックProN",YOzFont04,"IPA Pゴシック","Yu Gothic UI","Meiryo UI","MS Pゴシック";font-feature-settings:"jp04"1}?と並んで主役級のキャラクター。『西遊記』の楊二郎は神で楊?という名も持っていないが、原型は同じと思われているので現代ではその楊?のイメージも混雑していた。
牛魔王(ぎゅうまおう)
牛の妖仙であり孫悟空の義兄弟。
鉄扇公主(てっせんこうしゅ)
牛魔王の妻。日本では種族名の羅刹女(らせつにょ/らせつじょ)の名で呼ばれることが多い。火焔山の炎を消すことができる芭蕉扇を持つ。
紅孩児(こうがいじ)
牛魔王と羅刹女の息子。聖嬰大王と号する。牛魔王繋がりで孫悟空から見て甥ということになるが、紅孩児本人は甥呼ばわり(中国では人を馬鹿にする際に、相手を甥、姪と呼ぶことがある)されることを嫌う。三昧眞火と呼ばれる術を使い、その炎は悟空に効かないが煙で悟空の眼病に突き刺さって敗退させた、最後は観世音菩薩の宝器で降伏させられ、弟子となっている。
金角大王(きんかくだいおう)
正体は太上老君の金炉の童子。銀角の兄。義母に九尾の狐がいる。
銀角大王(ぎんかくだいおう)
正体は太上老君の銀炉の童子。金角の弟。移山倒海の術で悟空をおしつぶそうとするが、失敗する。その他の登場人物の一覧については西遊記の登場人物一覧参照
回目

以下は世徳堂本の百回。
第一回 霊根育孕源流出 心性修持大道生
石から生まれた猿が長寿を求め、
須菩提祖師から孫悟空の名をもらう。
第二回 悟徹菩提真妙理 断魔帰本合元神
悟空は変身の術や?斗雲に乗る術を得た。
第三回 四海千山皆拱伏 九幽十類盡除名
悟空は竜王から如意棒をもらった。
第四回 官封弼馬心何足 名注斉天意未寧
悟空は斉天大聖と名乗り、玉帝からも承認された。
第五回 乱蟠桃大聖偸丹 反天宮諸神捉怪
悟空は兜率天に迷いこみ、その金丹をみな食べてしまい、征伐軍が下る。
第六回 観音赴会問原因 小聖施威降大聖
二郎真君が悟空をとらえる。
第七回 八卦炉中逃大聖 五行山下定心猿
釈迦如来が悟空を五行山に閉じこめる。
第八回 我仏造経伝極楽 観音奉旨上長安
釈迦如来は唐の誰かに三蔵(経・律・論)を取りにこさせようと話す。
第九回 袁守誠妙算無私曲 老龍王拙計犯天条
水晶宮の竜王は雨がふる時間を変える罪を犯した。※『西遊真詮』などの清刊本ではこの第九回は第十回の中にくりこまれた。
第十回 二将軍宮門鎮鬼 唐太宗地府還魂
唐の太宗は竜王を斬ったのろいで死んだ。
第十一回 還受生唐王遵善果 度孤魂蕭禹正空門
地獄の閻魔帳に20年寿命を足されて太宗は復活。
第十二回 玄奘秉誠建大会 観音顕象化金蝉
天竺から経を取ってくる命令を、玄奘は太宗から受けた。以後玄奘を三蔵と呼ぶ。
第十三回 陥虎穴金星解厄 双叉嶺伯欽留僧


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:93 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef