西谷浩一
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西谷 浩一大阪桐蔭高等学校 硬式野球部 監督
日本代表監督時 2013年9月5日
基本情報
国籍 日本
出身地兵庫県宝塚市
生年月日 (1969-09-12) 1969年9月12日(54歳)
選手情報
ポジション捕手
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴


報徳学園高等学校

関西大学

指導者歴


報徳学園高等学校

大阪桐蔭高等学校

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西谷 浩一(にしたに こういち、1969年9月12日[1] - )は、兵庫県宝塚市出身の日本高校野球指導者。社会科地理歴史科公民科教諭。
経歴

小学2年から少年野球をはじめ、小学4年の頃よりポジションは捕手

報徳学園高等学校(兵庫県)野球部OB[1]。高校3年の夏、下級生の不祥事により同校野球部は県大会出場を辞退。1年浪人し一般入試で関西大学経済学部に入学[1]硬式野球部では2年秋から控え捕手としてベンチ入り。チームを側面から支え、3年春には19年ぶりのリーグ優勝と、全日本大学野球選手権大会準優勝に貢献[1]。4年時は主にブルペン捕手ながらも主将を任され、100人以上の部員をまとめあげた[1]

大学卒業後、母校・報徳学園でコーチを一時務め、後に大阪桐蔭高等学校に移る。大阪桐蔭では1993年から部長を務め、1998年11月に監督就任[2]。2001年に一度コーチに退いた後、2002年秋から再び監督として指揮をとる。

2004年春のセンバツで監督就任後初の甲子園出場を決めたが、野球部内での暴力行為の報告が遅れたため自身は出場を自粛した[3]

2008年夏の選手権では浅村栄斗を中心とした強力打線で自身初、同校としては2度目の全国制覇を成し遂げる。

2012年春のセンバツでは例年通りの強力打線に、藤浪晋太郎森友哉のバッテリーを擁して同校、自身としても初のセンバツ制覇を果たす。同年夏の選手権は対戦相手に一度もリードを許さない圧倒的な野球を展開し史上7校目の春夏連覇を達成[4]。自身としては春夏合わせて3度目の全国制覇を成し遂げた[5]。さらに秋に行われた岐阜国体でも優勝し[6]松坂大輔を擁した横浜高校以来となる史上3校目の「三冠」を達成した[7]

選抜大会連覇と甲子園3大会連覇を狙った2013年春のセンバツでは、大会中に主将でチームの柱である森友哉の故障など主力が万全でない状態の中での戦いを強いられ、3回戦の県立岐阜商業戦に4-5で敗れ、大会連覇と3大会連覇を逃す[8]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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