人口16,969人、面積686.94km²、人口密度24.7人/km²。(2024年5月1日、推計人口)
以下の3町を含む。
高千穂町(たかちほちょう)
日之影町(ひのかげちょう)
五ヶ瀬町(ごかせちょう)
高千穂町には、宮崎県庁の出先機関として西臼杵支庁が設置されている。 1873年(明治17年)に行政区画として発足した当時の郡域は、上記3町に東臼杵郡諸塚村・椎葉村を加えた区域にあたる。 知行村数村名 明治22年以前明治22年5月1日明治22年 - 昭和19年昭和20年 - 昭和29年昭和30年 - 昭和63年平成1年 - 現在現在
郡域
歴史
郡発足までの沿革
「旧高旧領取調帳」に記載されている明治初年時点での、臼杵郡のうち後の本郡域の支配は以下の通り。(22村)
幕府領人吉藩預地4村大河内村、松尾村、向山村、下福良村
藩領日向延岡藩18村七折村、岩井川村、分城村、山裏村、三田井村、下野村、押方村、向山村、田原村、上野村、河内村、五ヶ所村、鞍岡村、三ヶ所村、家代村、七ツ山村、岩戸村、桑野内村[1]
明治4年
2月 - 人吉藩預地が日田県の管轄となる。
6月 - 日田県の管轄地域が人吉藩領となる。
7月14日(1871年8月29日) - 廃藩置県により延岡県、人吉県の管轄となる。
11月14日(1871年12月25日) - 第1次府県統合により美々津県の管轄となる。
明治6年(1873年)1月15日 - 全域が宮崎県(第1次)の管轄となる。
明治9年(1876年)8月21日 - 第2次府県統合により鹿児島県の管轄となる。
明治12年(1879年)2月17日 - 郡区町村編制法の鹿児島県での施行により、行政区画としての臼杵郡が発足。郡役所が延岡に設置。
明治16年(1883年)5月9日 - 宮崎県(第2次)の管轄となる。
郡発足以降の沿革
明治17年(1884年)1月26日 - 臼杵郡のうち三田井村ほか22村の区域をもって西臼杵郡が発足。郡役所が三田井村に設置。
1.高千穂村 2.上野村 3.岩戸村 4.七折村 5.岩井川村 6.諸塚村 7.椎葉村 8.鞍岡村 9.三ヶ所村 10.田原村(紫:高千穂町 桃:日之影町 橙:五ヶ瀬町 青:合併なし)
明治22年(1889年)5月1日 - 町村制の施行により、以下の各村が発足。(10村)
高千穂村 ← 三田井村、押方村、向山村(現・高千穂町)
上野村
岩戸村 ← 山裏村(現・高千穂町、日之影町)、岩戸村(現・高千穂町)
七折村(単独村制。現・日之影町)
岩井川村 ← 岩井川村、分城村(現・日之影町)
諸塚村 ← 家代村、七ツ山村(東臼杵郡に現存)
椎葉村 ← 下福良村、大河内村、不土野村、松尾村(東臼杵郡に現存)
鞍岡村(単独村制。現・五ヶ瀬町)
三ヶ所村 ← 桑野内村、三ヶ所村(現・五ヶ瀬町)
田原村 ← 田原村、河内村、五ヶ所村(現・高千穂町)
明治30年(1897年)4月1日 - 郡制を施行。
大正9年(1920年)4月1日 - 高千穂村が町制施行して高千穂町となる。(1町9村)
大正12年(1923年)4月1日 - 郡会が廃止。郡役所は存続。
大正15年(1926年)7月1日 - 郡役所が廃止され、内務省告示第82号により西臼杵支庁(第1次)が設置される[2]。
昭和17年(1942年)12月1日 - 県内各郡に地方事務所が設置され、西臼杵支庁(第1次)を西臼杵地方事務所に改組。
昭和24年(1949年)4月1日 - 諸塚村・椎葉村の所属郡が東臼杵郡に変更。(1町7村)
昭和25年(1950年)4月1日 - 西臼杵地方事務所を西臼杵支庁(第2次)に改組。
昭和26年(1951年)4月1日 - 七折村・岩井川村が合併して日の影町が発足。(2町5村)
昭和31年(1956年)
8月1日 - 鞍岡村・三ヶ所村が合併して五ヶ瀬町が発足。(3町3村)
9月30日
高千穂町・田原村および岩戸村の一部(岩戸および山裏の一部)が合併し、改めて高千穂町が発足。
岩戸村の残部(山裏の残部)が日の影町に編入。日の影町は即日改称して日之影町となる。(3町1村)
昭和44年(1969年)4月1日 - 上野村が高千穂町に編入。(3町)
変遷表自治体の変遷